「呼吸入門」斎藤孝

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腰肚文化

日本の「息の文化」

日本人は、呼吸に関して固有の文化を持っていました。

それは呼吸と連動する身体文化 -「腰肚(こしはら)文化」です。

大人も子供も、武士も職人も、生活の中で、息が「技」や「芸」になっていました。

また、和服は腰肚を決めるのに最適のものでした。

日本はさまざまな「息の文化」持つ国だったのです。

腰と肚の構えがしっかりすることで、肉体に力強さが漲り、落ち着いてどっしりとした動きができます。

この腰や肚の据わった状態というのは、腹で深い息をすることによって可能になります。

「腰肚文化」を支えていたのは、紛れもなく呼吸力なのです。

つまり、心理、心の在り方、精神の在り方と息はセットだと、暗黙のうちに感じとっていたのです。

息は、からだと心をつなぐ「道」なのです。

 

丹田呼吸法は当たり前であった

かつての日本人においては、横隔膜を使った複式呼吸がからだに定着していました。

元来、呼吸は腹の力をしっかり使ってやるものです。

そして、「吸う」「止める」「吐く」それぞれにコツかあり、決まった「型」があり、それを人々は「技」としていたのです。

「丹田呼吸法」と呼ばれる呼吸法があります。

丹田とはお臍から指三本分下の位置を指します。

お腹の丹田といわれる箇所を軸にして、息を長くゆるく吐きます。

腹力を鍛えるのに適した呼吸法で、大正時代に大流行しました。

当時は、「臍下丹田」と言えば知らぬ人はないくらいの、呼吸における重要ポイントでした。

 

人物の器は息の力で判断されていた

人は言葉以上に、からだから発せられる情報を無意識にキャッチしています。

話をする中で、その人を支えている生命エネルギーを見ているわけです。

からだ全体から発せられるエネルギーというのは、呼吸力によって支えられています。

呼吸力は、からだが表現しているものなので、自然に滲み出てくるものです。

深い呼吸の力を持った人が静かに穏やかに話していても、そこには自ずと迫力がでます。

かつて「肚」という言葉で表現をしていた時代は、息の力をそのまま人物評価に結びつけていました。

みながその認識を共有していたわけです。

 

臍下丹田は「力みの避雷針」

深く長い呼吸のためには、リラックスできていることが肝心です。

リラックスとは、からだの余分な部分に力を滞らせないということです。

ただ余分な力を抜けと言われても、よく分からないと思います。

逆に、どこになら力を入れてもよいかという点で見ていけば、非常に明快です。

からだには、どんなに力を入れても、力んでしまうことがない場所があります。

エネルギーをいくら溜めても害のない場所。

それは『臍下丹田』です。

そこに意識を置けば、力まないで集中した状態が得られます。

気分の悪い時でも、気分のいい状態を取り戻すことができます。

ざわついた気分の時でも落ち着くことができる。

いろんなものを調整してくれる場所です。

臍下丹田で力を吸収してしまえば、自然体になることができます。

自然体とは、リラックスしてなおかつ集中した心身の構えのことです。

ただの脱力ではありません。

からだの力みを逃がす場所ということから、「力みの避雷針」と名付けています。

 

そんな避雷針は、もう一箇所あります。

足の親指の付け根あたりがそうです。

「真人(しんじん)の息は踵(かかと)を以ってし」。

徳の高い人間は足で呼吸するという荘子の名言があります。

これは足の裏のそのスポットに、うまく力を流し込めた成果だと言えます。

この二つの避雷針から、からだの中心軸を作ると力みが抜けるということです。

軸をはっきりと持つことで、その他の部分の無駄な力がどんどん抜けていきます。

 

斎藤式呼吸法

斎藤式呼吸法は非常にシンプルです。

意識を丹田に持っていってゆったりとしたお腹で息をします。

鼻から三秒息を吸って
二秒お腹の中にぐっと溜めて
十五秒間かけて口から細くゆっくりと吐く

たったこれだけのシンプルなものです。

これは数千年の呼吸の知を非常にシンプルな形に凝縮した「型」です。

余分な力みをどんどん取って、波打つ呼吸のリズムを感じ取っていきます。

これが身に付き「技」となる時、非常に高い集中力が持続でき、心のコントロールが容易になります。

生を支える確かな呼吸力となるでしょう。

 

吐くことで満ちてくる安定感

呼吸は精神に非常にダイレクトに働きかけます。

息の仕方により心の構えは決まります。

呼吸一つでタフで動じない精神状態にもなれます。

呼吸を考える上で大切なのは、吸うことではなく、吐くことです。

いかに吐くか、これを私たちの身体文化はずっと考え続けてきました。

武士の世界は、常に死と背中合わせの文化でした。

長くゆるく息を吐く、臍下丹田に力を込めた力強いゆるやかな呼吸をすることによって、死さえも恐れない、落ち着いた精神状態に入ることができたのです。

一つのトレーニング、死の予備訓練として、身体から心の構えを調えていました。

 

今ここにある自分と、それを見つめている自分

吐く技術を心の関係を、極限まで突き詰めていった形が、禅の「瞑想」でした。

息を完全にコントロールすることで、自分の心身の状態を常に一定させることができます。

非常に揺るぎない精神状態を作る、そんなアプローチでした。

坐禅は、自分の状態を一定に保つために、ぐらつかない一つの姿勢を続けます。

瞑想状態は、いろいろなものに惑わされません。

見られている自分と見ている自分、今ここに生きている自分と客観的に見ている自分という存在を二つ作り、それを明確にします。

世阿弥はこうしたものの見方を「離見(りけん)」と表現しました。

ただ生きているのでなく、身体として存在している自分というものを、もう一人の自分が細やかに感じ取り、コントロールしていくのです。

 

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斎藤孝(さいとう たかし)
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~saito/
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒。同大学教育学研究科博士課程を経て、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。主著に、『身体感覚を取り戻す』(新潮学芸賞)、『声に出して読みたい日本語』(毎日出版文化賞特別賞)など多数

 

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