「ブッダの瞑想法 ― ヴィパッサナー瞑想の理論と実践」地橋秀雄

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ヴィパッサナー瞑想は、原始仏教の瞑想法です。

ブッダが悟りを開いた時に最終的に拠りどころにした瞑想法として、そのまま伝えられてきたものです。

「ヴィパッサナー」という言葉は、「詳しく観察する」「さまざまなモードでよく観る」という意味のパーリ語です。

ヴィパッサナー瞑想は、「観察の瞑想」「気づきの瞑想」とも呼ばれてきました。

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ありのままに観察する

ヴィパッサナー瞑想は、今、この瞬間に自分の心と体が何を経験しているかに気づき、ありのままに観察していきます。

一切の思考や判断を差し挟まずに、見たものを「見た」、聞いたものを「聞いた」、感じたものを「感じた」と一つ一つ内語で言葉確認(ラベリング)しながら、純粋に事実だけに気づいていくのです。

 

ありのままの事実に気づく

私たちの人生が苦しいものになってしまうのはなぜでしょうか。

それは、事実をありのままに見ないで、思い込みや自己中心的な妄想を心の中に作り出し、それに対して嫌悪や不安、欲望、執着などの不善なる反応を起こすからだと原始仏教は考えています。

一瞬一瞬のありのままの事実に気づくことによって)、諸悪の根源である妄想の世界を捨てていくのがヴィパッサナー瞑想です。

妄想を離れ、色眼鏡を外して、裸眼の観察でものごとの本質を洞察していくことが心を浄らかにしていく道であります。

浄らかな心で正しく生きていくならば、人は必ず幸せなよい人生を生きることができると説かれております。

 

瞑想の効果

ブッダが説いたのは、哲学ではなく、ダンマ(法)の実践でした。

原始仏教のダンマの実践とは、瞑想することであり、心をありのままに観察し、浄らかにしていく営みなのです。

ヴィパッサナー瞑想には、多彩な効能が期待できます。

なぜなら、ヴィパッサナー瞑想は、気づきの要素、観察の要素、反応系の心の要素、サマタ瞑想の「一点集中」の要素までをも包含する、スケールの大きな構造を有しているからです。

 

思考を止める

苦の原因は妄想にあり、その妄想は一瞬一瞬の事実に気づき技術によって止められます。

思考が始まった瞬間、「妄想」「イメージ」とラベリング(言葉確認)されると、連鎖しようとする思考の流れが断たれてしまうのです。

こうして思考が止まれば、心に入った情報が編集されたり歪められたりすることなく、ありのままに認知されるでしょう。

ありのままに観られた事象は夢でも妄想でもない「真実の状態」なので、「ダンマ」と呼ばれます。

その「法(ダンマ)として存在するもの」の本質を見極めていくことがヴィパッサナー瞑想の仕事なのです。

 

慈悲の瞑想

原始仏教では、サティの訓練と並行して必ず「慈悲の瞑想」を行います。

慈悲の瞑想は、この世で最も崇高な「慈悲」の心を、私たちの反応系の心に組み込んでいく訓練です。

慈悲の瞑想は、慈悲の言葉を唱えるだけで瞑想が始まっているのです。

繰り返されれば繰り返されるほど脳細胞のネットワークが強化されますので、慈悲の心がいつの間にか形成されていくのです。

 

『慈悲の瞑想』の言葉

 

私が幸せでありますように

私の悩み苦しみがなくなりますように

私の願うことがかなえられますように

私に悟りの光があらわれますように

 

私の親しい人々が幸せでありますように

私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように

私の親しい人々の願うことがかなえられますように

私の親しい人々に悟りの光があらわれますように

 

生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように

生きとし生けるものの願うことがかなえられますように

生きとし生けるものに悟りの光があらわれますように

 

私がきらいな人々も幸せでありますように

私がきらいな人々の悩み苦しみがなくなりますように

私がきらいな人々も願うことがかなえられますように

私がきらいな人々にも悟りの光があらわれますように

 

私をきらっている人々も幸せでありますように

私をきらっている人々の悩み苦しみがなくなりますように

私をきらっている人々も願うことがかなえられますように

私をきらっている人々にも悟りの光があらわれますように

 

すべての衆生が幸せでありますように

すべての衆生が幸せでありますように

すべての衆生が幸せでありますように

 

慈悲の心の完成

慈悲の心の最大の特徴は、エゴのない「無私性」です。

エゴがなければ、何らかの見返りも要求しない無償の愛が発露します。

他者を慈しむ「愛」から、エゴ意識や我執が脱け落ちると、純粋な慈悲が現れるでしょう。

慈悲の瞑想は、無我を目指す修行でもあるのです。

エゴが完全に超克された時、慈悲の心が完成します。

そのゴールに一歩一歩近づいていくために、慈悲の瞑想を繰り返し唱えていくのです。

 

善行を行う

煩悩を未然に回避し、現れてしまった煩悩を克服する技術として最も強力なものは、積極的に善行(クーサラ)を行うことです。

ヴィパッサナーの修行を進める上でも、この現象世界を生きるためにも、徳を積み、善行を行うことに勝るものはありません。

徳を積むこと、「諸々の善、なすべし」の衆善奉行こそが、すべてを支える土台であり、最後の土壇場で私たちを救ってくれる拠りどころになるのです。

人に無償で価値あるものを与える瞬間、諸々の執着や物惜しみの煩悩が捨てられ自分の利益のみを求めるエゴ妄想が捨てられていくのです。

善い行いをすることで善いカルマが作られ、未来に善い結果を受け取ることができるのです。

 

ブッダのシステム

今、自分に与えられている環境や情況がどのようなものであっても、その中で苦しみをなくし、幸せを実現していかなければならない、と仏教では考えています。

問題はすべて、情報が入力された後に展開する心のプラグラムにあります。

妄想を止め、ものごとをありのままに観ていく技法によって、心の清浄道を完成させていくことがドゥッカ(苦)から最終的に解放される道なのです。

二千五百年前に、ブッダによって検証され、提示されたヴィパッサナー瞑想を実践しながら、心が限りなく浄らかになっていくのを楽しみ、それに比例して苦が滅ぼされていくのを確認していきましょう。

 

ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践
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地橋秀雄(ちはし・ひでお)
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1948年生まれ。早稲田大学文学部卒。1978年より解脱涅槃を求めて修行生活に入る。滝行、断食、ヨーガ、大乗仏教諸宗、心霊科学、工学禅、他力全託、内観、クリシュナムルティ等の修行遍歴の末、原始仏典に基づくブッダのヴィパッサナー瞑想が解脱を完成する道であると理解する。以来、タイ、ミャンマー、スリランカ等で修行を重ねる。1995年以来、朝日カルチャーセンター等で本格的な瞑想指導を始める。現在、グリーンヒル瞑想研究所所長、朝日カルチャーセンター講師(『ブッダの瞑想とその理論』)、グリーンヒルWeb会瞑想インストラクター。
著書に『ブッダのヴィパッサナー瞑想法 基本マニュアル』『瞬間のことば』『ヴィパッサナー瞑想法 実践レポートと解脱』(共著)『瞑想ネットサーフィン』(いずれもグリーンヒルWeb会出版)などがある。

 

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