「日本人はなぜ美しいのか」枡野俊明

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日本人はなぜ美しいのか (幻冬舎新書)

 

「日本的な和の美しさ」は、世界に稀に見る、『そぎ落された美』であり、その美の表現は日本の、日本人の独断場です。

日本は美しく、その美しさを生み出した日本人は美しい。

そんなすばらしい事実を、私たちは、海外の人の目を借りて、あらためて気づかされているように感じます。

世界的に見ても、なぜ日本はこんなに美しいのか。

日本人は美しいのか

われわれは、あらためて、自分たちの美しさの根本を探り、自覚し、誇りに思うべきだと思います。

 

不完全なる美

日本人には、共通した「美しさに対する普遍的な価値観」があります。

西洋の美に対する考え方は、基本的には「足し算」といっていいでしょう。

一方、日本は「引き算」。

茶器などでも、いったんつくりあげたかたちから、そぎ落とし、そぎ落とし、「もう、これ以上そぎ落としたら茶器として成り立たない」というところまで「引いて」いくのです。

両者の決定的なちがいは、西洋の美が「完全なる美」「完成された美」であるのに対して、日本の美は「不完全なる美」、さらにいうならば、「完全を超えた不完全なる美」であることです。

陶器でいえば、西洋ではかたちが左右対称だったり、描いた柄に寸分の狂いもないものが美しいとされる。

ところが、一方で日本ではかたちがいびつだったり、柄に統一性がないものを美しいとします。

その『不完全さ』に、つくり手の思いや人間性を汲みとり、不完全であるところに素材の力や味わいを感じとるのです。

完全なもの、完成されたものの美しさは、いってみればそこが『終結点』です。

誰が見ても、「ああ、美しい」という受けとめ方をする。

一方、『完全』を超えた『不完全なもの』の美しさには、見る人の想像力を掻き立てる余地があります。

どんなに時代が隔たっていても、時空を超えて、作品ばかりではなく、作者とも触れ合える。

完全を超えた不完全な、日本の美だけが持つ不可思議さです。

 

移ろうという感覚

「無常」という言葉がありますが、日本人の心の底には、「移ろう」という感覚がつねにあるのだと思います。

日本人は、文字どおり、移ろいでいく季節のなかに生きています。

そのことが、「無常観」を自然に持つことになった、もっとも大きな理由だということはいうまでもないでしょう。

そして、移ろいでいくことが美しいと感じるのも、日本人に特有の感性かもしれません。

たとえば、彫刻でも、西洋では石や金属、鋳物でそれをつくります。

ところが、日本では仏像などにしても、多くが木でつくられています。

日本人はそれを移ろいでいると捉え、そこに美しさを見出します。

古びた木の仏像に、一部が朽ちた像に、ときを移し込んだ新たな美を感じる。

「味わい」といってもいいかもしれません。

 

無我をかたちにする

西洋の考え方は、キリスト教が基盤になっています。

神が人間をつくりたもうた、その人間を支えるのが自然だ・・・というのが西洋の自然観。

つまり、人間と自然とのあいだには明確なヒエラルキー、主従関係があるのです。

ですから、人間は自然をいかように使ってもいい、ということになるわけです。

しかし、日本ではそうではありません。

自然の営為に対して敬意を払うのです。

自然と対話しながらさまざまな工夫をするのです。

そこに主従関係はありません。

西洋流が「建てる」という感覚なら、日本流は「建てさせていただく」感覚といったらいいでしょうか。

 

庭づくりもまったく同じです。

圧倒的な量感とあざやかな色彩で、見る人を感嘆させるのが西洋の庭なら、「禅の庭」は、静かな佇まいで見る人を包み込み、心を清々しく、また、穏やかにする、といえるのではないでしょうか。

それは、静寂のなかで、つくり手の心が語る『何か』を、見る人の心が感じるからなのだ、と私は思っています。

 

繊細な日本人

日本人の民族性といったら、もっとも特筆すべきものとしてあげられるのは、「繊細さ」だと思います。

繊細さでは他の追随を許さない。

モノづくりにおいて、日本人の繊細さはいかんなく発揮されています。

指先の繊細さ、感性、感覚の繊細さがつくり出す日本の製品は群を抜いています。

優美でこまやかな美しさは日本の独断場です。

精巧、繊細、丁寧・・・と、三拍子も、四拍子もそろっているのは日本しかありません。

 

しなやかな強さ

日本の美しさ、日本人の美しさは、強さでもあると思います。

日本の「強さ」は、同時に「しなやかさ」を秘めています。

堅剛なだけではない、しなやかな強さ。

この「しなやかな強さ」の基盤にあるのは、シンプルな思考と生活です。

シンプルであるからこそ、人は、「本来の自分」を見つけ出すための思索を深めることができ、さらに、本来の自分の姿で、しっかり足を地につけて、立つことができるのではないでしょうか。

りシンプルに考えなさい、よりシンプルに生きなさい、ということ。

つまり、心のしなやかな強さを育むことこそが、禅の教えであると思います。

おもてなしは、心やさしいこまやかな心遣いであり、強さとは反対のイメージがあるかもしれませんが、おもてなしをするためには、相手を理解するための配慮や、受け入れる覚悟、そして、一心に自分をそこに投入していく強さが必要です

本当のおもてなしをするには「無私」であるべきです。

まさに禅の実践なのです。

 

日本に、日本人に、美しくあってほしい。

それは、強くあってほしいということでもあります。

そのためにも、日本で生まれ育ったこと、日本人として生きていけることを、誇りに思って生きていきましょう。

 

 

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枡野俊明
http://www.kenkohji.jp/s/japanese/index_j.html
1953年、神奈川県生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー、多摩美術大学環境デザイン学科教授。玉川大学農学部卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行ない、国内外から高い評価を得る。芸術選奨文部大臣新人賞を庭園デザイナーとして初受賞。ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章を受章。また、2006年「ニューズウィーク」誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される

 

 

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2 個のコメント

    • Julia on 2014年4月16日 at 9:45 AM
    • 返信

    すばらしいですね♪
    春、桜を愛で、夏 蝉時雨にセミのはかない命を思い 秋は紅葉 冬は雪景色の静けさに心を寄せる
    より身近に自然を感じることのできるよろこび、そして人やモノへの思いやりあふれる心遣い。
    歳を重ねるごとに、日本人として生まれたことに誇りと喜びを感じています

    1. Juliaさん
      日本人の感性はすばらしいですよね。
      四季の移ろいだけでなく、虫の音までも、美の一つとしてく取り入れてしまう。
      また、日本人の精神性の深さは際立っています。
      本当に日本人として生まれてきたことを誇りに思います。
      コメントありがとうございました。

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