チベットには
体の問題を解決するときには心を動かし、
心の問題を解決するときには体を動かせ
という諺があります。
病気など肉体の問題を抱えたときは心を変える努力をし、迷いや悩みのような精神の難題を抱えたときは、頭で考えるのではなく、体を使いなさいということです。
今、日本人の多くは、この教えと逆のことをやっているようです。
恵まれた国でありながら、国民の多くがいろいろな不安を抱え、老いも若きも、この先どう生きていったらいいか悩んでいる。
これからは、体を使って考えることの大切さに気づき、体から学ぶ姿勢を取り戻すことです。
それができれば、あなたの体は、あなたにとって最善の生き方を教えてくれます。
自分が好きなことを選ぶ
今の人たちは、頭で考えてから行動する人間が圧倒的に多いと思います。まず目標をつくり、計画を立て、準備し、実行に移す。
常に結果を考えながら行動します。
一方、私のような行動派は、結果をあまり考えないで、とにかく前に進み出します。
行動的になりたければ、自分が好きになれること、やりたくてたまらないことを見つけることです。
そうすれば、行動するかどうか考えるまでもなく、自然に体が動き出しているはずです。
直感力を磨く
体を使って次々新しいことに挑戦していると、やれることとやれないことが体感できるようになります。
「勘が当たった」とか「ひらめいた」というのがそれです。
体がいろいろな経験を積んでくると、「瞬視」と言う独特な直観力が働くようになる。
その直観力による判断は、百万の知識、理屈よりも正しいのです。
そういう直観力を磨くには、トライの精神が不可欠。
仏教の修行には、瞬視の能力が磨ける方法がいっぱいあります。
修行がどれも過酷なのは、過酷であることに意味があるのではありません。
頭で考えるのをやめさせ、ある高みに達した人間だけが味わえる共通体験を得るためなのです。
こういう修行は何も宗教者でなくても、一般人にもできることです。
体と心にいい「坐禅断食」
なかでも私が一般の方にお勧めしたいのは「断食」です。
人間の欲望の中で一番強いのは食欲です。
この食欲にブレーキをかけることは、自分のダメな部分を変えていくにはとても効果的な方法です。
先進諸国に限りますが、今の人は明らかに食べすぎています。
人間の体は、食糧不足には適応できる仕組になっていますが、食べすぎには、体の適応力は弱いのです。
細胞の智恵
今は脳科学が発達して、何でもかんでも「脳だ、脳だ」といっている。
でも体はすべて脳に支配されているわけではない。
連綿として受け継がれてきた私たちの細胞もまた底知れぬ知恵をもっているのです。
人間は約60兆の細胞からなる一固体としてよりよく生きようとしていますが、同時に一個一個の細胞も生きようとしている。
その意味で人間は二重基準で生きている。
脳は固体としての生命の司令塔にすぎないのです。
体に訊くとは、細胞の意見を聞くことでもあります。
断食をすると、その細胞の声が聞こえてくる。
脳の配線はその人が生まれてからでき上がったものです。どうがんばっても百年に満たない。
これに対して細胞のほうは何十億年も生きながらえてきているのです。
体のコントロールには呼吸法
断食の話と同様、体に関するよい方法は、『呼吸法』です。
お釈迦様の時代からビバーサナ(観法)のため、呼吸法は重視されてきました。
ビバーサナというのは、一つのことを集中的に想像する瞑想法のことです。
呼吸は生きた証であると同時に、その仕方がとても大切なのです。
お釈迦様が教えた呼吸法の基本は「息を数えろ」ということでした。
これをアンナバーナ「数息観」といいます。
雑念を取り払って何かに集中するには大いに役立ちます。
人生の大問題になると、頭での考えはそうやすやすとは正解を出してくれない。
難問を抱えたようなときは知恵が必要になる。
頭より体のほうが、正解を教えてくれます。
考え抜いて結論を出すより、いったん頭を空っぽにしたほうがいい。
そういう状態をつくり出すために、「呼吸法を学びなさい」ということです。
陰徳を積む
インドやチベットの人たちは、常に陰徳を積む努力をしています。
彼らがそんなに陰徳を積むことに熱心なのは、輪廻転生と大いに関係があるのです。
たくさん徳を積めば、次の人生は恵まれた幸せなものになる。
だから、死ぬ間際まで手を抜かない。
私たちも、陰徳を積む努力をすれば、もっと精神的に成長できるし、心の負担も軽くなります。
地球上の生命はすべてつながっている
私たちの日々の行動は、すべてに関係しています。
人のために何かをしていると、それは巡りめぐって自分に返ってくるのです
喜びを与えた者には喜びとなって返ってくるのです。
これは結局、この地球上にある生命は、すべてつながっているということです。
すべての命がつながっていることは、輪廻転生そのものです。
私たちの日常のどんな些細な行為も、それは何かの結果をもたらす一部なのです。
自分がよりよい人生を送りたいなら、毎日の生活も思考も「いいことづくめ」にしておくことが、最も賢い生き方ということになります。
野口法蔵(のぐち ほうぞう)
1959年、石川県七尾市生まれ。1982年、新聞社退社後、インドに渡る。1983年、チベットのラダックにて得度。1986年、インド国立タゴール大学に滞在。ダライ・ラマより寺名禅処院を寄与される。1987年、帰国。現在は、新潟県東蒲原郡阿賀町に在住。