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ブッダを語る(3) – 最期の旅『大パリニッバーナ経』

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最期の旅『大パリニッバーナ経』

 

ゴータマ・ブッダの最晩年のことを記述している代表的な経典は、『大パリニッバーナ経』です。

この経典はゴータマ・ブッダを神話化することなく、人間ゴータマ・ブッダの最期の姿を描いています。

肉体は無常でありますが、ゴータマ・ブッダの見出して説いた法は永遠です。

 

アーナンダよ。

わたしはもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、

人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。

わたしの齢は八十となった。

例えば古ぼけた車が

革紐の助けによってやっと動いて行くように

恐らくわたしの身体も

革紐のたすけをによってもっているのだ。

しかし、向上につとめた人が

一切の相(すがた)をこころにとどめることなく

一部の感受を滅ぼしたことによって、

相のないこころの統一に入ってとどまるとき、

そのとき、かれの身体は健全(快適)なのである。

 
80歳になったブッダの肉体は、もう古ぼけ、ガタガタになっている車にたとえられています。

しかし肉体は衰えていることをはっきり認めながらも、禅定によって精神統一をし、こころが肉体を支配していれば、その肉体は健全であるといっています。

 

 

自灯明、法灯明

 

ブッダの遺言として古来有名な「自灯明、法灯明」です。

 

アーナンダよ。

今でも、またわたしの死後にでも、

誰でも自己を島とし、自己をたよりとして、

他人をたよりとせず、

法を島とし、法をよりどころとして、

他のものをよりどころとしないでいる人がいるならば、

からはわたしの修行僧問して

最高の境地にあるであろう、

誰でも学ぼうと望む人々は

 

ゴータマ・ブッダは、自分は教団の指導者であるということをはっきりと否定しています。

ブッダにとって、頼るべきものはブッダではなく、各自の自己であり、普遍的な法です。

 

死の予告

 

ブッダは、この説法の後のある朝はやく、再びヴェーサーリーに行って托鉢行を行ってから、戻って食事をしました。

その後で、アーナンダに向かって、しみじみと感懐の言葉を述べたのです。

 

アーナンダよ

ヴェーサーリーは楽しい

ウデーナ霊樹の地は楽しい

ゴータマカ霊樹の地は楽しい

サーランダダ霊樹の地は楽しい

チャーパーラ霊樹の地は楽しい

 

ブッダは80年の人生を振り返り、「世界は美しいもので、人間の生命は甘美なものだ」といって最期の思いを結んでます。

死を目前にした人間ブッダの心境をよく示しているようです。

 

仏陀の教えは、2500年を経た今でも、その教えは色あせることなく、私たちに多くの示唆を与えてくれます。

 

 

 

ブッダを語る (NHKライブラリー)
前田専学著

 

 

 

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