「超訳 ブッダの言葉」小池龍之介

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君の手に与えられたものがたとえどんなにわずかでも、君がそこに幸せを見つけるなら、「足るを知る」充足感で心はきれいに澄んでいく。

そのきれいな心の波は、目に見えない高次の生きものたちを喜ばせて惹きつけるだろう。

 

自分は心が思ったことの集合体

君という存在は、過去に「何を考えたか」によって、その考えたり感じたりした内容が、ひとつひとつ心に蓄積され、ミックスされた結果のつぎはぎとして、今、ここにたっている。

君が優しいことを思うなら、少しだけポジティブな業のエネルギーが心に刻まれ、そのぶん温かい君に変化する。

すべては心が思うことから生まれ、すべては心が思うことによって創られる。

優しくポジティブな心で話したり行動するなら、必ず安らぎが自分についてくる。

そう、影が君の歩く後ろから必ずついてくるかのごとく。

 

悪い業を解消する方法

これまで蓄えてきた悪しき業のエネルギーの報いからは、決して逃げとおすことはできず、いつか、その「借り」を支払う羽目になる。

いやな目に遭っても、逃げもせず拒絶もせず、「この程度の報いですんでよかった」と明るく受け入れるなら、悪しき業の借金はすうっと解消してゆくだろう。

 

優しい念を送る

自分の上方に慈悲の念を向け、自分の下方に慈悲の念を向け、自分の横、前後左右に慈悲の念を向け、わだかまりなく、分け隔てなく、恨みなく、敵意なく、優しい念を送るよう、練習するように。

 

「今、この瞬間」に心を専念させる

過去を想い出して悲しむことなく、未来を空想してぼんやりもせず、ただ、「今、この瞬間」へと心が専念していれば、君の顔色は活き活きとして、晴れやかになる。

 

諸法無我

諸法無我、すなわちすべてのものは、自分のものではない。

これも、あれも、それも。

あらゆる心理現象も物理現象も、そのすべては自分のものではない。

この身体も、この感覚も、この記憶も、この好き嫌いも、この意識も、この世界も、すべては自分のものではない。

 

死ぬときに持って行ける唯一のもの

死ぬときに唯一この手に残るのは、君がこの人生で行動してきた身体の業と、話してきた言葉の業と、心の中で考えてきた思考の業、たったそれだけ。

君はその報いだけを受け取り、旅立ってゆく。

ゆえに、思考・言葉・身体を整えて、未来に備えて善業を積むように。

善業は、未来の君にとっての、ただひとつの財産となる。

 

精進する

すべてのものは一瞬一瞬、刻一刻と壊れ、少しずつ削減してゆく。

だから、君はほんの一瞬もムダにすることなく、ダラダラすることなく、精進するように。

 

超訳 ブッダの言葉

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小池龍之介(こいけ りゅうのすけ)
1978年生まれ。山口県出身。月読寺(東京・世田谷)住職。東京大学教養学部卒業。2003年、ウェブサイト「家出空間」を開設、お寺とカフェの機能を兼ね備えた『iede cafe』を主宰(『iede cafe』は2007年に冬眠)。現在、自身の修行を続けながら、月読寺やカルチャーセンター・ヨガスクールなどで一般向けの坐禅指導、講演等を行う。主な著書に『考えない練習』(小学館)『自分から自由になる沈黙入門』『もう、怒らない』(ともに幻冬舎)などのほか、ディスカヴァー刊の著書としては『貧乏入門 あるいは幸福になるお金の使い方』、自身の描く4コマ漫画と解説によって仏道のエッセンスを凝縮した『煩悩リセット稽古帖』がある。

 

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