「日本の曖昧力」呉善花

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日本の曖昧力

外国人にはもちろんのこと、日本人の民族性を「曖昧さ」にあるとして批判する人たちがたくさんいます。

しかし、日本的な曖昧さは今の世界が陥っている限界を切り開き、世界を動かしていく「曖昧力」として捉えることができるのではないでしょうか。

曖昧さを察し合うというコミュニケーション文化が日本にあります。

この日本人に特有な曖昧さは、人と人との親和で平穏な関係を生み出していくには、他の国の人たちにはあまりみられない大きな利点ではないかと思うのです。

これからの調和と融合をめざす国際社会では、この「曖昧力」の働きが大きな役割を果たすようになるでしょう。

 

さらに、曖昧力は環境への適応性も生み出します。

日本的な自己とは、変化する環境で生き抜くのに最も相応しい姿を目指すものだと考えています。

今後ますますグローバル化が浸透してゆく国際社会において、曖昧な日本人の環境への適応力は非常に大切なのではないでしょうか。

 

こうした曖昧さは品格の問題ともつながっています。

なにげない素振り、それとない装い、遠回しの言い方などが、品格ある好ましいものと感じられていると思います。

曖昧さはさらに、美意識や美学にも通じています。

 

日本人の美意識の基準

日本には一般にいわれる「経済大国」「技術大国」以外に、もう一つの別の側面があります。

それは、日本は何より「美の大国」であるということです。

日本人の美意識は世界の中でも特異な形をとっていますが、それが最もよく表れているのが、人生で何を拠り所とするかではないでしょうか。

日本では「どんな生き方(死に方)が美しいか」という美醜の観念が生き方の規範となるのです。

そうした日本人が持つ特有の美意識は、「もののあわれ」「わび・さび」といった言葉でよく表現されます。

 

自然と人間を一体と考える

日本の様々な伝統技術者に直接会っていろいろと話を聞いてわかったのは、職人さんたちはみな「自然生命の声」を聞く能力を持っていることです。

たとえば、刀工にとって鉄は生き物であり、陶工にとって土は生き物であり、塗り師にとって漆は生き物であります。

自然素材の側からの生きた働きに感応して腕をふるう、そういう気持ちが職人さんたちの中にあるのですね。

そもそも、「自然生命の声」を聞く力を持っているのは、伝統技術者にかぎりません。

そんな力は一般人にはないというけれど、日本語の表現には、「木々がささやいている」「風が呼んでいる」といった、自然をあたかも人間と同じようにみなす表現がことのほか多いのが特徴です。

 

神道の特徴

日本の神道には、強烈なるものを排除する傾向が強いところがあります。

静で清浄なムードをことのほか好みます。

しかしその内容は、アニミズム的であり、シャーマニズム的であります。

こういうアニミズムやシャーマニズムは世界に類例がありません。

静けさと清浄感が神道の特徴です。

この精神性は、日本風の一つといえる、凛とした清冽な美。

すっきりとむだのない清々しい美の表現と深くかかわっているのでしょう。

神道では、神との出会いを待つところに重点がおかれています。

 

ソフトアニミズムの世界

いけばな、劇画やアニメなどの世界的な人気は、そうした自然な生命(アニマ)への聖なる感性が、やはり人類すべてに内在し続けていることを物語るものといえるのではないでしょうか。

現代世界にあって、日本的なソフトアニミズムの感性が多くの人々に迎え入れられていることはたしかだと思います。

 

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呉 善花(オ・ソンファ)
1956年、韓国・済州島生まれ。韓国で女子軍隊経験を持つ。83年に来日、大東文化大学(英語学専攻)の留学生となる。その後、東京外国語大学大学院修士課程(北米地域研究)修了。評論家。現在、拓殖大学国際学部教授。著書に、『攘夷の韓国 開国の日本』(文春文庫、第五回山本七平賞受賞)など

 

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