「呪いの研究 ― 拡張する意識と霊性」中村雅彦

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中村雅彦

 

人間の意識の中でも、特に感情は「エネルギー」としての性質を持っている。

他人の意識に干渉したり、身体の状態にも影響を及ぼしうる。

「呪い」は単なる迷信に基づくものではない。

人間の情念が目に見えない意識のチャンネルを通じて周囲の人や事物に影響する性質を持っている。

神は人に罰を当てたり、報いを要求したりはしない。

人の一途な想いが想念体となって古代から共有されてきた精霊の意識場と同調し、蛇や山犬、その他、悪鬼、邪鬼などの姿を借りて相手の身体に飛びかかり、食いついているだけのことである。

なかでも一番恐ろしいのは、生きている人間の恨み、憎しみの情念が、負の意識エネルギーとなって相手の意識に干渉し、飛んでいく「生霊」なのだ。

 

現存するシャーマン型霊能者

四国には、「拝み屋」と呼ばれるシャーマンが大勢いる。

拝み屋とは霊能力を持った祈祷師である。占い、まじない、加持祈祷などを行って、相談者のさまざまな悩み事や現世利益的な願い事を支援する人々のことである。

昔ながらの呪術的、密教的伝統に根ざした儀礼を行い、降神、憑依などのトランス状態になって託宣をしたり、神霊や仏との交信を通じて相談者の変容を試みたり、心身の「癒し」を試みるのを生業としている。

伝統的霊性に根ざしたシャーマン型霊能者の世界が、今でも存在するのである。

 

サイキック・ウォーズ

拝み屋の間で「サイキック・ウォーズ」が繰り広げられているのは、この世界では公然の秘密のようなものである。

「念」の出し合い、飛ばし合いである。

動機はさまざまだが、団体間の勢力抗争、個人的な恨み・嫉妬、顧客からの依頼などが主である。

物的証拠が残らないので、一般の人々の理解を超えている。

拝み屋の中には、身体を壊したり、病床に伏せり、生死の境をさまよう経験をもつ人が少なからずいる。

一つには相談者たちの持ち込む邪気、邪念に長年さらされ続けることで、肉体が変調をきたしやすくなる。

シャーマンとは癒すだけではなく、滅ぼす者でもある。

21世紀の現代日本においても、奈良・平安の昔と同じく、呪術の伝統は脈々と息づいている。

 

光と闇

霊的智慧には、「光の要素」と「闇の要素」の両面が含まれている。

そもそも両者は同一の神仏意識の裏表でもある。

真の覚者になると光で闇を消し去ることができるようになる。

しかし、その他大勢は、闇に呑まれて淘汰されるか、その道を歩むことを断念せざるを得ない状況に追い込まれていく。

これが「魔界」である。

闇(負)の力というのは、光(正)に比べて圧倒的で、勢いも強い。

その破壊力に圧倒されると、命取りになる。

実際、拝み屋には魔の力を使う人の方が多い。

 

呪術の起源

呪術とは、大自然に存在している眼には見えないパワーを、呪文や呪具を用いて自然から取り出し、集め、神霊や精霊と一体化することによってそのパワーをコントロールするテクノロジーを専門技能として扱うのが呪術師(シャーマン)である。

呪術師は、太古の昔、人間が大自然の脅威にさらされて生活していた頃、呪術師は共同体の中での智慧者であり、リーダーの役割を担っていた。

自然の働きはカミの力の顕れであり、呪術師はカミと人を仲介して自然秩序を調節し、個人や共同体の運命を予見していた。

天変地異、飢餓、病、事故、死など、どうして人間は不幸や不条理に見舞われるのか。その原因を探り、生存に関わる問題を解決しようと試みるのが呪術師の仕事であった。

 

日本人の宗教

古代日本の『カミ』という語は、西洋のGOD、DEITYの概念に見られるような超越的、人格的な性質をもっていない。

日本人の自然崇拝は、自然物に宿る神霊を崇拝するアニミズムであった。

日本人の言うカミは霊魂、精霊、霊鬼、霊威などを表している。

森羅万象、自然には、創造と破壊、荒ぶる力と和らぐ力のサイクルがある。

その自然の摂理の圧倒的な姿の背後に、人智を超えた大いなるもの、聖なるものの存在を感じ取るところから、日本の神道は成立していったものと考えられる。

カミは豊かな恵みを与えてくれる存在であると同時に、逆らえば恐ろしい災難を及ぼす「魔」、「鬼」にもなる。

カミの二面性を認めるのが古代日本人の精霊信仰の本質でもあった。

 

霊性とは

霊性(SPIRITUALITY)とは、霊的、超常的、超個的、神秘的な体験全般を霊性と考えている。

いずれも、個人のレベルを超えた意識領域が自覚されるようになることを意味している。

ただし、霊性に目覚めることは、建設的な成長をもたらすこともあれば、逆に破壊的、自滅的な結果をもたらすこともある。

霊性は個人と宇宙との関係を特徴づける何かであり、それは必ずしも形式や儀礼、瞑想などを必要とはしない。

本人の意思や意図とは無関係に発生している面もあり、「向こうの方」から突発的にやってくる性質を持っている。

また、日常生活の中でとても感動したり、聖なるものに遭遇するような体験も霊性の一種と考えられる。

 

霊性開発

霊性開発とは、われわれが自分自身に対して過大な評価や過小評価をすることなく、嘘、偽りのない「あるがままの自分」でいることから出発する。

自分はあくまでも一人の人間であり、それ以上でも、それ以下でもないことをまず受け入れることである。

霊的な生活は、何も特別のものではない。

それは日常生活であり、同時に日常を越えた生活でもある。

 

陰と陽は表裏一体

森羅万象において、陰と陽は表裏一体である。

光と闇の二面性の源であって、病気や悲劇でさえも例外ではない。

悪いから取り去ってしまえというのではなく、悪いものも自分の一部と認めて共存させていく姿勢が、自然の理にかなっている。

善良な人々の身にも否定的な出来事は平等に降りかかってくる。

厳しい現実から目を背けたり、逃避するのではなく、それに立ち向かったり、ときとしてあるがままに受け入れることによって、活路が見いだされていくこともあるのである。

 

失われた霊性の回復に向けて

聖なるもの、究極なる本体に対する信仰の鍵は、自然と人間が調和して暮らしていた時代にもっていた、古代人の素朴な信仰の中にある。

万物がカミ、大自然がカミ、この世の中にあるものすべてがカミの現われであるという素朴なアニミズムが信仰心の本質である。

神祓信仰で考えられていたように、自然(宇宙)そのものがカミである。

昇る太陽を見て敬虔な気持ちになるだけでも霊性の開発につながるのである。

われわれはカミの中に生きている。

われわれの中にカミはいる。

霊界も、神界も、仏界も、すべては自分の心の内側にある。

だからこそ、自分が内側から変化することで、外界もどのようにでも変わっていくのである。

現代には現代なりの霊性開発の道筋や方法論がある。

自然と人間が分離し、究極の本体からのメッセージを自覚することのできなくなってしまった現代人にとって、まずは自分の心を発掘することから始めることを勧めたい。

そのエッセンスは、すでにわれわれの心の深層に「古代人の記憶」として刻印されており、これを現代の様々なセラピーやヒーリング、修法を通じて、掘り起こしていくことも可能ではないだろうか。

 

 

呪いの研究-拡張する意識と霊性

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中村雅彦(なかむら まさひこ)
1958年兵庫県生まれ。名古屋大学大学院教育学研究科博士課程修了。教育心理学博士。現在は愛媛大学教育学部教授。社会心理学、トランスパーソナル心理学を専攻とする心理学者であると同時に、奥四国にある龍王神社で権訓導の資格を取得した神職でもある。現在取り組んでいるテーマは、呪術的実践と神道的世界観の心理学的研究。著書に、『臨死体験の世界』(二見書房)、『超心理学入門』(光文社)、共著に『オカルト流行の深層社会心理』(ナカニシヤ出版)などがある。

 

 

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