常に生産的で「役に立つ」人間でなければならないという、重たい罪悪感を負わされたような、息づまる毎日から自由になり、温かで潤いに満ちた、満足できる人生を送れたら幸せです。
さあ、もっと心を軽くして、世界や地上に存在する全てのものと「恋に落ちる」感動を味わいましょう。
恐らく、あなたは世の中のたいていの人と同様に、一生分の厳しさをすでに自分に課してきたはずです。
そろそろ自分にやさしくなってあげましょう。
もっと気楽に生きましょう。
盲目的な気楽さではなく、慈悲深い気楽さを持って生きるのです。
あなた自身の光とぬくもりの中で、あなたが存分に伸びることができるような、もっとやさしい、いたわりのある生き方をしましょう。
スローに生きましょう
味覚、臭覚、触覚、聴覚、視覚。
五感は、私たち人間の中に「世界」が流れ込み、体内をくぐって流れ出ていくための門のようなものです。
その門を大きく開けば開くほど、「肉体で生きる生命」にしかあり得ない快楽をより完全に知ることができます。
快楽は、まさにいまという瞬間にも、私たちの横を通り過ぎようとしています。
その快楽を堪能するには、全てを詰め込もうと焦るのではなく、速度を落とすことです。
スローに生きることでこそ、一つの瞬間、一口の料理、一目見た景色、一度聴いた音、わずかに触れ合った手と手の感触の中に、「無限」が広がっていることを垣間見ることができるからです。
バカになりましょう
「ぬかりない自分」って、とっても気疲れします。
バカになるというのは「そんなに頑張らなくてもいいんだ」「みんなに尊敬されなくてもいいんだ」と思ったりできることです。
それはまた、「みんなと同じにしなくてもいいんだ」と思えることでもあります。
バカになるとは、あなたが普段、自分に課している「決まり」や「目標」を少し緩めてあげることです。
あなたの世界観や自分像を支えている信念をほんの少し、やわらげるのです。
バカになることの悦びの多くは、そこに自意識がまったく働かないところにあります。
バカになりたい衝動に身をまかせているとき、私たちはいわば「無」になります。
その状態がとても気持ちいいのです。
ときどきバカになると、予想もしないところから叡智がもたらされたり、シンクロニシティーのような偶然が起こったり、道端で思いがけない出会いがあったりします。
「いま」を生きる
「啓示」が起こり得るのは、「いま」以外にありません。
まさに、「いま」なのです。
「生きる」ということにおいて、「いま」以外に本当の意味で「可能性のある瞬間」は存在しません。
自分の人生はどうあるべきなのだろうと疑問に思うとき、ただ、周りを見るだけで答えが分ります。
「いま」、自分がしていることこそがまさに、私のあるべき人生なのです。
たった「いま」、ここで生きること以外に、「やるべきこと」などないのです。
人生に予定表はいらない
人生計画をたてるのではなく、人生がおもむくままに生きるようにしていると、人生は、行くべき方向へ、あなたをちゃんと導いてくれます。
自分の生き方を信じている人は、頭でなく体の方が勝手に動いて、その人が生きるべき道を自然に歩ませてくれます。
行き先が不透明であることや、そこへ向かう理由がはっきりしないことは、生きる快楽を味わうことにつながります。
生命の大いなる力は決して把握しきれませんが、その力を受け入れて、それと協調しながら生きようとすることで、個人の意思が最大限、実現できるようになるのです。
そういう姿勢で臨むと、人生はただの予定表ではなく、神秘体験になります。
そんな生き方をする人の前では、 生きることの神秘が常に啓示され、その人自身も神秘の一部となることができます。
ただ計画を達成するために苦労する人生とは違って、発見と啓示に富んだ人生は楽しいものです。
完璧に価値はありません
人間はそもそも欠陥だらけの存在で、不完全であるのが運命なのです。
「完璧な人生」なんてしょせん、夢です。
ただできるのは、不完全さを受け入れることです。
人は絶えず、自分自身の手の届くところのほんのちょっと先にある存在です。
欠点も含め、ありのままの状態で自分はいいのだと思えることは、とても愉しいことなのです。
私たちは完璧でないのですから、どんなに気をつけていても、間違いは起こります。
でも、間違いが実際に「間違い」だったのかどうか、本当のところは分かりません。
どんな出来事にも、私たちには見えない「意味」があるかもしれないのですから。
また、間違いをおかすことにはさらに深く、緻密で美しい「意味」があるかもしれません。
つまり、これまでどんな間違いをおかしてきたとしても、それらは全て、「いまの自分」を創り上げているということです。
一見間違いのような行為も、そのときには予想できなかった、悦びに満ちた結果につながることがあります。
平凡がいいのです
平凡であるのはよいことです。
「平凡で素晴らしい」のが人生です。
「何がなんでも目だって注目を浴びる」ことが全てとされるいまの文化では、凡人であることはほとんど、罪のようにさえ扱われています。
この世に生きる人間は、個々にどんな人であろうと、みんな、それほど特別な存在ではないのと同時に、光り輝く存在でもあります。
私たち一人一人は、ごく平凡な人間でありながら、奇跡のように素晴らしい存在でもあるのです。
呼吸に気づく
呼吸することによって、滋養に満ちた深い静けさの中で、心を統一することができます。
「自分に帰る」ためには、いかに静けさが大事であるかを思い出すことができます。
ただ呼吸して、自分が地球とつながって生きているのだと実感できることが、本当の意味でそこに「いる」ことを意味します。
生命の力に突き動かされたり、揺り動かされたりしているような感覚。
あるいは、自分よりも大きな「存在の流れ」の一部に属しているような感覚。
そういうものが感じられれば、あなたは確かにそこに「いる」のです。
体の中にしっかりと「いる」ときは、「いま」に根づいて生きているとき。
「いま」に根づいていると、ときには遠くへ羽ばたくこともできるのです。
幸せになるための罪深き7つの知恵
ロジャー・フーズデン Roger Housden
英国バース出身。1998年にアメリカへ移住。現在、妻マリアとニューヨーク市およびニュージャージー州フェアヘーヴンに暮らす。現代人の実存や精神に関する著書を多数執筆。邦訳作品 に『愛の旅人 詩人ルーミーに魅せられて』(地湧社 サマーヴィル大屋幸子訳)がある。