私はがんに愛を送ることで、副作用が無く、がんが消滅していった体験をした。
まさにがんになって、それを自ら解決していく中で、たくさんの人々に出会い、気づき、自分の智慧とする旅のはじまりであった。
忙しい毎日の生活の中で、手っ取り早く物事を進めていくうちに、心の奥底でつながりをもたずに進んでいった結果、がんという病気に出会ったのだ。
その治癒過程で、生まれて初めて自分自身が誰にも邪魔されないで、静かな時間空間の中で過ごし、朝には日の出を静かに眺めるという生活を過ごすことができた。
この静かな時間を持って自分にもどるということが、その後フィンドホーンに行って学び、自ら瞑想を実践するようになり、そのための時間を取るということを毎日の生活の中にもたらしてくれた。
がんになった人達へ伝えたいこと
今たくさんのがんになった人たちに、心から伝えたいことがある。
それは、
「がんになって自分で治す道を歩んでいくことは、あなたの意識が変容するとても素晴らしい機会ですよ」
「人の意識が変容するときは、無条件の愛を感じて愛を人に送ることではじまります」
「人間の体の中には、いつも治そうとして働いている自然治癒力があるので、どうか治っていくということを感じてください」
「この自然治癒力がいかされるようにしてあげ、ただ素直に無邪気に治っていくことを感じてください」
「がんに愛を送るという無条件の愛のエネルギーを、心から感じてください」
そして、本を読んで知識ばかりを追いかけず、しっかりとその知識を体で感じて、腑に落とすことで智慧になっていくことに気がついていってほしい。
腑に落とすには、静かになって、他人から邪魔されない時間を持って、自分の中にある自分自身、「内なる神」と表現しているものと出会う時間を、毎日持つことである。
がんに愛を送る
体のあちこちをやせ細った手の平でさすり、すべての臓器に今まで自分を生かしてくれたことを感じて感謝の気持ちを送っていたときだった。
痛みがひどい腫瘍のある部分に手を当てた時に、自分で作ってしまったことに気づき謝罪するとともに、腫瘍は自分が作った子供だと分り、がんに愛を送った。
なんと痛みが徐々に減ってきたことを見つけた。
自分が耐えられる程度に痛みが減少したことを見つけ、これを続けていくことで私の意識を大きく変えることになった。
がんに無条件の愛を送ることが、すべてのがん治癒のスタートといってよいだろう。
感謝をすること
今現在まだ生きているという事実を知り感謝し、その日一日を「ありがとうございます」という感謝の感情で過ごすことを心がけはじめた。
そして新しい日の始まりである日の出を見ることをはじめた。
太陽を見ているうちに、あの太陽がなかったら、地球も無く、自分も無かったということを感じ、太陽が神様だということに考えが行きついた。
「太陽さんありがとうございます」の祈りが始まった。
呼吸の素晴らしさ
息を吐くことの重要性をさらに深めていくうちに、呼吸の素晴らしさに気がついた。
体にたまっていた悪いものを、呼吸を深くすることで口から外に出して行き、吐く息をできるだけ長い時間継続して深めていくことで、体中の毛穴が開いて多量の汗をかくことに気がついた。
この吐くことに専念した呼吸に、声を軽く乗せて発声をしていくことをし続けているうちに、まず胸のチャクラに、そして体の背骨に沿って並んでいるライン上の七つのチャクラの存在に気がついていった。
七つのチャクラを下から上に順番に上げながら、ひとつずつ繋げていくような意識で呼吸をしていくと、体の中に快感が走り、やがてある朝、呼吸がとてもうまくできたあとに日の出を見ているときに、第一チャクラからクンダリーニが上がるという体験をすることができた。
そのとき以来、何かからだ全体の感じる力が高まり、人のオーラがとてもよく見えるようになり、宗教的な絵に描いてあるようなことは嘘ではなかったと納得した。
がんがくれた贈り物
私はいつも朝起きてから、
『太陽さん、私を生かしていただいて感謝します。今日もまだ私は生きています』
と宇宙に向かって唱えている。
がんになってから、次々に沢山の贈り物を宇宙が私に与え続けているように感じている。
宇宙を天と言い、天を神と言い換えてよいだろう。
私は宇宙からのそれらを素直に受け止めて、直感にしたがって決断し、行動を起こしてきた。
がんが私にくれた贈り物と思える。
がんが消えた―ある自然治癒の記録 | ||||
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寺山 心一翁(てらやま しんいちろう)
http://www.shin-terayama.jp/
1936年東京生まれ。1960年早稲田大学第一理工学部電気工学科卒業、その後、東芝入社、半導体素子の研究、開発、試作に従事。1980年寺山コンサルタンツオフィスを設立。1984年に右腎臓がんとなり、手術、抗がん剤、放射線治療という現代医学による治療にもかかわらず、がんが右肺など他部位へ転移し、末期と診断されたのを機会に、自宅で死を迎えるために退院。やがてがんに愛を送り、深い気づきを得て、副作用のない様々な代替療法を自分が中心となり、自分のからだに調和をとりながら統合的に取り入れ、やがてがんは自然治癒していった。ホリスティック経営コンサルタント(1981~)、日本ホリスティック医学協会常任理事(1987~1995)、フィンドホーン財団評議員(1988~)、特定非営利活動法人国際和合医療協会(ISMA)副理事長(2004~)などを歴任。