地球を人間で例えると、ちょうど幼稚園から小学校くらいのレベルです。
エネルギー体(魂)がどれほどの純度になっているかは、試練によって試されます。
その試練は、愛情問題や金銭問題、その他いろいろです。
その試練に耐えられなくて、中途退学するのを自殺、無事卒業した人は自然死といいます。
卒業した人は、あの世で今度は修行します。
成績が悪かった多くの人たちは、もう一度、この世に生まれ変わります。
それを何百回も何千回も、資格ができるまで繰り返させられるのです。
今度はやっと資格を得て霊界に入っても、今度はもっと難しい修行が待っているのです。
このエネルギー体(魂)が地球を転生するのは、自分で学びながら徳を積むためなのです。
両親をはじめとする先祖霊や守護霊の助けや指導霊や守護神の助けもありますが、結局努力して身につけるのは自分自身なのです。
先祖の徳を受ける
苦労して貯めた徳は、銀行に預金するように積んで置くのです。
その徳は、自分でも使えますし、また、使いきれなかった分の徳は、子孫のために積んで残して置いてあげることができるのです。
これを先祖の徳を受けるといいます。
お金を稼ぐため働くということは、人々のために尽くして善い行いをするということです。
つまりそれを徳といいます。
我々日常生活の中でいつでもできることなのです。
真の信仰
信仰とは、信じ仰ぐということです。
神や仏を信じ尊び仰ぐだけでなく、自分自身をも信じ仰ぐ事の出来る価値ある人間になるということなのです。
自分自身を、もう一人の自分が冷静に客観的に謙虚に評価して、自分を心から信じて、尊敬できるほどに、高めていくということなのです。
その作業を信仰というのです。
その信仰という作業をするのは、お寺や、神社や、仏壇の前だけではありません。
家庭でも、職場でも、遊び場、どんな所でも、自分の身体の赴く所がみんな作業場、つまり信仰のための修行場なのです。
自分以外の人間とのかかわり合いから生ずる感情や、事件の一つ一つに対応するその時々の対処の仕方、つまり心の動き方、考え方が修行になるのです。
嫉妬、憎しみ、恨み、悲しみ、嘆き、喜び、満足、祝福、その他様々な感情が起こります。
人と接することによって生じる感情の色模様です。
そのような感情、情念を理性でコントロールできるようにするのが信仰の力です。
それらの感情の一つ一つをより深く掘り下げて考え、その問題に対する答えをはっきり浮き彫りにして見つけ出すことが修行です。
さらに、苦しく、悲しい嫌な出来事に対しても、それがまったく何でもないことであるかのように平穏で明るく安らかな気持ちでいられるように、切り替える考え方を努力して見つけることを「悟り」というのです。
人生の最終目的
神性とか仏性とか呼ばれているように、人間は、もう一人の自分を持っています。
人生の最終の目的は、神様の前に立った時に、堂々と顔を上げていられるだけの自分自身になることだと思うのです。
『即是道場』ということで、自分の体の赴くところ、トイレに入ることから、仕事場、家庭の中、とにかく自分の体が行くところは、すべて教会であり、お寺なのです。
自分が非常に清められたような気分にまった状態を、いつでも保っていられるようにするということを、発想の転換によって行っていくということが修行なのです。
素直な「善い」心を持つこと
運をつけるためには、まず、自分の良心の部分を、心の中で探し出すことから始めましょう。
人にちょっとでも優しくしたことで、「あぁ、今日は善いことをした」なんていうふうに思う気持ち、それが良心なのです。
その気持ちをもって、お経を上げたり祈ったりするというのがコツなのです。
拝みながら、自分が普段の日常生活の中で忘れていた「自分は尊い仏様である。観世音菩薩である。神様である」という自分の中にある神性、仏性を思い出すことです。
誇りと優しさ、いたわり、素直さ、厳しさ、暖かさを具えた自分は、充分に自分字自身をあがめるに足りる、素晴らしい清らかな高い人格を持った菩薩である。
仏である。
神である。
ということを思い出すことなのです。
真の開運法「先祖供養」
先祖供養がきちんと行き届いていない人は、幸運がなかなか廻ってきません。
その開運に一番効力のある先祖供養は、春、秋のお彼岸と、お盆と、年の暮れの年四回、お墓参りに行くことです。
もっと丁寧にするのなら、そのお墓のあるお寺の本堂で、お坊さんに頼んで、何々家先祖代々の霊として供養してもらうことです。
先祖のお墓参りにも、家族そろってお参りすることをぜひおすすめしたいのです。
墓前に静かに拝む家族一同の姿に、どれほど先祖は嬉しく懐かしい思いをするでしょう。
どんなことがあっても、この子孫たちを守ってやろうと思うにちがいありません。
それそこが『真の開運』ということなのです。
ほほえみを取り戻すキーワード
誰にでも守護神や背後霊がいて、ご先祖のいない人はこの世にいませんから、とにかくお願いをして、守護してもらうようにするのです。
お題目やお念仏、祈りの言葉など、いろいろな宗教にそれぞれの言葉があります。
美しい心を保つためにあるのです。
「南無妙法蓮華経」「南無阿弥陀仏」「アヴェ・マリア」など、そういうキーワードを一つ持つことが大事なのです。
このキーワードというのは、『ほほえみを取り戻す』キーワードなのです。
自分の好きなキーワードを唱えるわけです。
カッとすることがあっても、イライラしても、ハッと「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・」というふうに余裕が出てくる。
そういう自己催眠的な使い方をすれば、毎日が楽に生きられます。
人間というのは、困難や悲しいことが起こったときには感情だけで、理性がなくなってしまうのです。
たとえそうなっても、早く理性を取り戻せるようにするには、そのキーワードを言って、冷静さを取り戻すようにするということです。
それがあると、上手に生きられます。
大切な先祖供養
自分の家の仏様を大事にするのは良いことなのです。
先祖の霊、親しかった人の霊は、家で充分供養してあげて下さい。
そうすると不思議に運が開けたり、いろんなことが良くなってきます。
その時、神様が、熱心に頼まれたから守ろうとしても、成仏しないために妨害する霊がいるのです。
それが供養をきちんとうけますと、成仏して妨害しなくなります。
そうすると、今度は神様が遠慮なく働けるというわけです。
自分の先祖を調べるだけで、何百、何千といるのですが、代々のご先祖さまは一括して成仏していただくよう、先祖供養としてお経をお上げたほうがよいと思います。
霊ナァンテコワクナイヨー | ||||
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美輪明宏(ミワアキヒロ)
http://www.o-miwa.co.jp/
1935年、長崎市生まれ。国立音大付属高校中退。17歳でプロ歌手としてデビュー。1957年「メケメケ」、1966年「ヨイトマケの唄」が大ヒットとなる。1967年、演劇実験室「天井棧敷」旗揚げ公演に参加、『青森県のせむし男』に主演。以後、演劇・リサイタル・テレビ・ラジオ・講演活動などで幅広く活動中。1997年『双頭の鷲』のエリザベート王妃役に対し、読売演劇大賞優秀賞を受賞