わたしたちは「ソウル・コンシャス」(意識とたましいの同一化)の存在状態でこの世に生まれてきます。
純真無垢で、まだこの世のことはなにも知りません。
ところがやがて「ボディ・コンシャス」(意識と身体の同一化)やエゴが発達していくにつれて、たましいは意識からあざむかれ、わたしたちは健康、富、地位、愛されること、評価されること、安定することなどに依存するようになります。
このような依存に安定はないので、わたしたちのこころは常に脅威にさらされることになります。
それでも、たましいの本来の性質(ソウル・コンシャス)がもつ平安、愛、純粋性、無私、信頼、無邪気さなどが失われたわけではありません。
それは隠された真実として内奥に眠っているにすぎず、たましいが受容の状態にある愛に帰還したときにふたたび姿をあらわすのです。
霊性を育むためには、自分が身につけている条件づけを手放し、ボディ・コンシャスを打破する必要があります。
純真なこころをとりもどす方法は、霊性を中心とする人生をおくり、そのことによって気づきを深めると同時に、高次の力とつながっていくことなのです。
真理の実現への道
真理の実現の旅とは、内的な治癒と再生の道です。
その道を歩みはじめると、わたしたちは甘えも依存もなしに、こころをひらき、愛することができるようになります。
その道は、霊的かつ無条件の、愛本来の純粋なかたちとその表現へと回帰していく旅でもあるのです。
愛に内在するさまざまな価値こそが、わたしたちの霊性の表現なのです。
霊的な道はすべての人の内側にあり、覚醒のときを待ちながら眠っています。
たましいの本来のありようは、ひとりひとりの内奥に潜んでいて、その人に経験され、気づかれ、実現される瞬間を待ち望んでいます。
実現の道は内面への旅であり、本来たましいに備わっている神聖さに寄りそって生きることです。
感謝の行
感謝するということには、他人の過ちや欠点を目にしてもその人の長所を探るという真理が伴うことです。
感謝をこころがけるということは、自己と他者の内面にある美徳だけを見ようとする決意のことです。
自己の内部に美を見つけることが多くなればなるほど、他者のなかにも美が見いだせるようになります。
感謝を実行するための努力「感謝の行」は自己の内なる美徳を見いだし、それを表現していく霊的な取り組みであり、それが結局はその人に利益をもたらすことになるのです。
ドラマの観察者
「すべては神の計画の中にある」
と考えることが超然とした霊的な態度の到達目標です。
世界は巨大な舞台であり、その舞台のうえで、それぞれのたましいがそれぞれの役を演じています。
役者は仲間の役を案じることなく、自分の役を演じます。
このように、あなたも人生というドラマの観察者になればいいのです。
たとえドラマの一部に、苦悩や苦痛に満ちた場面があったとしても、ドラマ自体は善意のドラマなのです。
霊的な態度を維持して、さまざまなシーンを映し出すスクリーンのまえに座っている自分のすがたを想像すればいいのです。
超然とした態度
超然として観察するまなざしを身につければ、あなたは霊的な洞察力が深まり、智恵が深まり、行動が的確になります。
話すべきとき、沈黙すべきときがわかるようになり、他者にたいする理解が深まります。
こうして得た知識をもって、他者の成長を支援する方法が身についていきます。
人からどう思われているかを意に介さず、観察者でありつづけましょう。
適切な対応をしながらも、常に超然として、なにものにも影響されない自分を残しておくことです。
観察者としてつねに自己を点検し、深く内省することが、智恵と自己制御に近づく手段です。
手放す
執着をすべて手放すことが、真の自由と幸福にいたる道です。
「手放す」とは、なにかを失うということではありません。
手放すものは、健康、財産、人間関係などではなく、それらに依存するこころです。
たましいの存在に気づき、自己の不滅性を確信したとき、わたしたちは依存から自由になることができます。
手放すことは、過去の出来事に影響されなくなくことであり、将来への危惧をやめることでもあります。
過去から自由になるためには許すことが必要であり、未来から自由になるためには信頼することが必要です。
許す姿勢こそが自己を自由にし、古傷を忘れさせてくれます。
自分を許し、手放すことです。
いまこの瞬間を生きるには、期待や気苦労、将来への不安を手放して、未来を信じなければなりません。
すべては神の計画にしたがって進んでいます。
うまくいかなかったときには、なるべくしてそうなったのだと思うことです。
信じることによってはじめて、解放、自由、幸福な状態に近づくことができるのです。
手放すというスピリチュアルな努力は、エゴをひとつひとつ明け渡していくことなのです。
全ては神の借り物
「わたし」がもっていると思っているすべてのもの、すなわち、からだ、健康、財産、人間関係などそれらはすべて、神からの借りものです。
また、だれひとりとして、あなたの所有物ではありません。
所有しているという気持ちをすべて手放しましょう。
こころにその思いを抱いて、自愛を深めましょう。
超然としながら、人生というドラマを慈しむのです。
すべては神のあらわれであり、この世に悪はひとつもないのです。
自己を明け渡して協力することを惜しまなければ、すべてをよい結果へと導いてくれるのです。
愛の使節
霊的成長とは、己の真のすがたを「思い出す」逆説的な旅路であるということになります。
こころの奥に潜んでいる真の愛とは、わたしたちの本来のすがたであるソウル・コンシャス(意識とたましいの同一化)のことであり、それは純粋かつ無条件の愛です。
そのときに体験するのは、ひたすらに愛そのものになるということです。
愛と自己が一体となったその体験は、あまりにも満ち足りた完全な状態であり、ほかの欲望が生じる余地がありません。
愛の使命はわたしたちの真のすがたを明らかにして、真理の実現への道を照らしてくれます。
この世界をひとつに結びつけ、癒すこと、それが愛の使命なのです。
愛の使節としてのわたしたちのつとめは、愛になること、そしてその愛の意のままに目的を果たすことです。
愛の力
無条件の愛とは、神聖な霊的な愛のことです。
それはこころの内奥に潜在していると同時に、外界にも存在する大いなる神の愛です。
外在する無条件の愛に包まれると、愛の力によって、それが内在するものであることがわかってきます。
内在する無条件の愛を実感すると、愛は内側から外側へと広がっていき、わたしたちは神と不可分な領域に到達します。
人生においていかなる体験、いかにトラウマを受けようと、愛はそれらの影響のおよばないところにあります。
愛はわたしたちが覚醒するときを待ち、過去を癒し、いまを自由に生きられるようにしてくれます。
その力の源が神であるという気づきは、神に身をゆだね、神に属しているという実感をつうじてやってくるものです。
愛は達成する力をとおして教えを説き、わたしたちを神のような存在にしてくれるのではないでしょうか。
純粋な愛を受けるとき、わたしたちの内奥に「眠っている」神の似姿がふたたび覚醒するのです。
シンプルであれ
たましい本来のありようは、単純そのものだったのです。
たましいこそが、わたしたちの真のアイデンティティなのです。
単純に生きていれば真実が目に見えるようになり、それが現実となりるのです。
わたしたちは自己の真実の深層を体験し、簡素に暮らし、愛をもって善を行うことができるようになります。
ふつうの人になればなるほど、その人は他者にもよい影響を与えるようになることでしょう。
自分以外に、変える必要のある人などはいないのです。
あとは愛に任せておけばいいのです。
よい人生 そして よい旅を
シンプルであれ自分自身であ
思慮深く 真実であれ
ミッション・オブ・ラブ―終末期のスピリチュアル・ケア | ||||
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ロジャー・コール(Dr.Roger Cole)
1955年、イギリス生まれ。腫瘍学専門医・緩和ケア専門医。79年にロンドンのGuy’s and King’s College Hosipitals卒業後オーストラリアに移住、腫瘍学専門医として研鑽を積む。84年エリザベス・キューブラー・ロスのワークショップに参加、緩和ケアをライフワークとする契機になる。86年緩和ケアコンサルティングサービスを開始。92年、インドのブラーマ・クマリス本部にてラージャ・ヨーガ瞑想をとおして啓発体験。現在The IIIawarra Health Regionで緩和ケア部長をつとめる。
世界各国で講演ツアーを行い、03年の来日の際には各地でワークショップが開かれた。著書に“Healing Heart and Soul”。