「自分とは何か」
「宇宙の果てには何があるのか」
私を答えに導いてくれたのは、臨死体験という特異な体験でした。
22歳のとき、私は突然の病気に襲われ、生死をさまよいました。
そこで私は自分の過去と未来、そして地球の過去と未来をも「体験」してきたのです。
臨死体験の中で、私は宇宙の始まりも見てきました。
それは「膨大な意識」といったものでした。
宇宙の視点から眺めてみる
臨死体験、彗星捜索、環境浄化・・・・・・。
これらは、まったくかけ離れた事柄のように思われるかもしれません。
しかし、私にとっては、これらのことはすべて一つのポイントで密接に結びついているのです。
そのポイントとは、宇宙の視点から自分たちを眺めてみるということです。
自分が今いる場所を大きな視点でとらえることができるようになります。
今、どんな社会の中で生きているのか、社会のどこが間違っているのか、そこで自分のするべきことは何かがとてもはっきり見えてくるのです。
星や宇宙に思いを馳せることは、自分たちの住む地球という環境を見ることにつながります。
自分たちが立っている足元を見つめ直したとき、その答えはおのずと導き出されるでしょう。
そしてそれは、地球上の生命を幸せな未来へと導く第一歩となるはずです。
すべての命はつながっている
地球上の生物は、何一つをとっても単独で生存しうるものはありません。
すべての命はつながっているのです。
一つの生命は他の生命によって生かされる存在であると同時に、他の生命を生かすための存在でもあるのです。
どの命もすべて、その命でなければできない役割というのが用意されています。
すべての人が、その人でなければ活用できない才能を秘めているのです。
人生最大の喜びとは
臨死体験をした私にとって、今は生きているということ自体が最大の喜びです。
死はつらいことでも恐ろしいことでもありませんでしたが、死後の世界は非常に退屈なものでした。
私が死に瀕したときに感じた最大の苦しみは、それまでの人生に対する後悔の念でした。
死の淵から戻ってきたときに私が真っ先に思ったのは、今度死ぬときは絶対に後悔はしたくないということでした。
睡眠時間が短くても、苦労が多くても、お金があまり儲からなくても、本当に自分がやりたいと思えることをしようと決心したのです。
人生最大の喜びは、地位でも名誉でもお金でもなく、精神的な充実感を味わうことです。
そしてその充実感は、自分の能力を100パーセント引き出したときに初めて得られるものなのです。
自分の能力に目覚めるとき
あなたが心から楽しみながらできること、それがあなたの能力であり、自然界の中での役割なのです。
人はいつ自分の能力に目覚めるかわかりません。
でもその出合いは、必ず訪れます。
もうこんな年だからとか、そんなことをしてもお金にならないからと、自分の気持ちをごまかさないことです。
やってみたいと思えることに出合ったら、勇気をもって一歩踏み出してみてください。
そこからあなたの人生は大きく変わっていくことでしょう。
すぐにやりたいと思えることにめぐり合えなくても、がっかりすることはありません。
出合うのにふさわしい時期というものもあるからです。
出合いという開花の時期を迎えるためには、根を張り自分を成長させておく必要があります。
自然環境を守るゲーム
どんな人だって、いつかは必ず死にます。
そして死ねば膨大な意識に取り込まれ、すべての謎は氷解します。
死ぬことは苦しいことでも悲しいことでもありません。
それは死を一度体験した私がいうのですから、間違いありません。
果てしない宇宙を包含しているのは、自分の意識の本体ともいうべき膨大な意識です。
その中で生まれた三次元という世界で、私たちは持てる才能を駆使し自然環境を守るというゲームを行っているのです。
エンドレスに努力を続けるということは、決して空しいことではありません。
自然界に同じ出来事というのは二度と存在しないからです。
生き方は星空が教えてくれる | ||
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by ヨメレバ |
木内鶴彦(きうち・つるひこ)
1954年長野県生まれ。幼少より星や宇宙の神秘に魅せられ、小学五年のときに観察した池谷・関彗星がきっかけで彗星に興味をもつ。その後、航空自衛隊に入隊するが、生死をさまよう病氣をきっかけとして退官。以後、長野県にて天体観測を続ける。彗星捜索家。90年3月16日、チェルニス・木内・中村彗星を発見。同年7月16日、土屋・木内彗星を発見。91年1月7日、メトカーフ・ブルーイントン彗星を再発見。92年9月27日スウィフト・タットル彗星を再発見。93年9月、国際天文連合よりスウィフト・タットル彗星発見の業績を認められ、小惑星に木内と命名される。