呼吸法の結集「夜船閑話」
白隠は、「臨済録」をはじめ、様々な禅書の解説や説話を残しています。
なかでも白幽仙人との出会いは、後に「夜船閑話(やせんかんな)」として刊行され、広く人々に愛読されて今日に至っています。
「夜船閑話」の前文では、主に「内観の法」という精神集中と放下(ほうげ)の術を説いています。
中国の仙人、老子、荘子、易学などの道教の伝統的な身体論、精神論にしたがって教えを説きます。
後半は、「摩可止観」「天台小止観」を紹介しながら、釈迦の修行にまでさかのぼって心身の統一を説いています。
そして最後に、秘伝中の秘伝「軟酥(なんそ)の法」を説き、結論として呼吸法においてすべてが解決するとしているのです。
白隠は「内観の法」と「軟酥の法」を懸命に修行して三年にならない内に、薬や治療を必要とせずに、難病を治してしまったのです。
何よりも重要なことは、難解な禅の公案を理解できるようになり、悟りの境地を体得できたということです。
不老不死の術「内観の法」
「内観の法」では、まず手足を伸ばし、そして緩める、
私は誰だ、本来の私はどこにあるのかと問いかけながら、
緩やかに呼吸することを勧めています。
さらに、息を集中して観念し想像するということを、繰り返せと言っています。
これは今日の暗示療法、イメージ療法とも言うべきものです。
これを続ければ、氣は下半身に充実し、下腹部がひょうたんのようにふくらみます。
そしてまりのように弾力性を持つのだと。
最初は効果がなくとも、二、三週間やれば、五臓六腑の病、氣の滞り、神経衰弱、全身疲労がなくなると断言しています。
もし治らなければ、この首をやるぞとまで言い切っているのです。
白幽子によると、この「内観の法」こそが、仙人が永遠の生命を得る不老不死の術ということです。
白隠は「内観の法」を自らに用い、また人に教えて禅の道を歩んできました。
修行に熱心すぎて発狂寸前の弟子にも、この法によりたちまち回復させたのでした。
70歳を超えた白隠は、まったく病の気配もなく、歯も整い、耳も目もはっきりとして、眼鏡を用いることさえ忘れほどでした。
丹田を錬る
「丹」というものは、宇宙に偏在しているものです。
それが神、すなわち無意識の意識、自己暗示と体の呼吸の操作によって、自らのうちに凝集し、気海丹田に充たすということなのです。
ひたすら意識を腹に下ろして、丹田に置くことをつとめるのです。
「氣」は個人の皮膚、体を通して宇宙全体に偏在し、流通しています。
「氣」は宇宙に無限に充満している生命エネルギーそのものです。
それを丹田に集中凝集するのです。
心の底からわいてくる喜び、楽しさこそが、実は白隠の考えた禅の悟りであったのです。
「内観の法」とは、まさに呼吸法に基づいた自己の丹田イメージ凝集法なのです。
秘伝「軟酥の法」を授かる
白隠は、繰り返し臍下丹田は「宇宙」に通じると言います。
古代からの様々な賢者、仙人、道士が目指した宇宙との一体感によって身体の調和を保つ。
その鍵は臍下丹田の充実を大前提としているのです。
「夜船閑話(やせんかんな)」も大詰めになると、白幽仙人から秘法中の秘法「軟酥(なんそ)の法」を伝授されます。
心身の調和がとれず、心身ともに疲労すると思ったら、次のようなことをイメージしろ。
「軟酥」というチーズ、ヨーグルトのような鶏の卵よりやや大き目のものを、頭の上に載せたようにイメージする。
やがてその何ともいえない匂いと味が少しずつ融け出し、頭蓋骨のあいだを潤し、浸々と透みて体を伝わり下りてくる。
両肩、腕、肘、そして胸、肺、肝臓、腸、胃へと流れてくる。
さらに脊髄から腰骨のあたりまで流れ、潤してくる。
こうした情景をイメージする。
匂いも色もひじょうにすばらしく、心から清められるようである。
この軟酥は全身をめぐり、両足を温め、潤し、足の裏の土踏まずの中心にいたる。
そういう想像、観想をなすべしと言っています。
「軟酥の法」は一種のイメージ療法とも言うべきものなのです。
また、「軟酥の法」は、身体の悪ところを治すだけではありません。
ストレス解消、意識のコントロールにもなるのです。
躁鬱など精神のコントロールできるのです。
まさに心身一体です。
白隠がこの軟酥の法を秘伝として「夜船閑話」の最後に置いたのも最もなことです。
丹田呼吸の極意
真人の息は踵(くびす)を以てし、
衆人の息は喉(のど)を以てす
(荘子)
東洋の呼吸法は、拳法・弓道・合氣道にせよ、みんな「腹」が大事だ、つまり踵をもって呼吸をしろと言います。
丹田、つまり下腹部に力を込めて、足を踏みしめて腹式呼吸をする。
足は大地につながり、吐く息は口から宇宙へ広がり、吸う息は
踵から大地から吸い上げるというイマジネーションを持つ。
常に重心を下へ下へと意識する。
緊張感を下に集中し、身体の上部は、頭も、首も、肩もできるだけ力を抜くということを強調します。
そして、臍下一寸に丹を錬り上げるということを最終の目標にしています。
海のような気を臍下の丹田におさめる。
そして年月をかけ、それに集中するのに成功したら、仙人が不老長寿の薬・仙丹を錬るかまどなど放り出せ。
そのとき、はじめて宇宙すべてが一つの大還丹となる。
これは、仙人さえも超えた、まさに大宇宙と自己の一体観の極致をうたっているものです。
これぞまさに、禅の悟りの極致と一致していると言いたかったのです。
白隠禅師の読み方―今に甦る「心と体の調和 内観法」の極意 (祥伝社黄金文庫) | ||||
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栗田勇
昭和4年、東京生まれ。東大仏文科卒。象徴詩人、ロートレアモンを日本で初めて完訳。以来、芸術・宗教・思想などの幅広い分野で活躍。古今東西の文献と自らの足で確かめた評論は他の追随を許さない。