ものごとは心にもとづき 心を主とし 心によってつくり出される
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば
福楽はその人につき従う
影がそのからだから離れないように。
意訳:
すべての現象や存在を、私たちは自分の心を通して認識する。
いや、すべてのものは私たちの心によって生み出されると言っていいだろう。
心が清らかでありのままを映すのであれば、私に喜びや楽しみが生じる。
すべてのものごとと私の心とを分離することはできない。
私の身体と影とが離れないように。
苦の連鎖を断ち切る
仏教ではすべてのものは単独で成立せず、刻々と変化し続けると考えます。
すなわち、「無常」「縁起」です。
仏教では、変化するものを実体とは考えません。
すべては変化し続けている。
しかも存在はいろいろな関係性によって成立しています。
楽も苦も一時的状態です。
ただ、楽の連鎖が起こっているのです。
四つの真理
すなわち苦しみとは
苦しみの成り立ちと 苦しみの超克と
苦しみの終滅におもむく八つの尊い道(八正道)とを(見る)
意訳:
四つの真理とは、「生きることは苦しむことである」
「その苦しみを生み出すものは何か」
「苦しみを解体した境地は安穏である」
「苦しみを解体する方法とはなにか。それは八正道である」
ことを指す。
そして、仏道を歩むものは、この真理を目の当たりにすることができるのである。
今から2500年前、ガウタマ・シッダルタという人が悟りを開いてブッダと成られました。
悟りの中心となったのは、「縁起」という法則でしょう。
「縁起」を、説明のしやすいように上手く整えたものが「四聖諦」であるとも考えられます。
「四聖諦」とは、「なぜ苦悩は生じるのか」「どうすれば苦悩を解体できるのか」という仏教の根幹を、因果律の構図で説明したものです。
すべては変化し続ける
「一切の形成されたものは無常である」と
明らかな智慧をもって観るときに
ひとは苦しみから遠ざかり離れる
これこそ人が清らかになる道である。
意訳:
すべての存在は無常〔刻々と変化し続けて一定ではない〕と、本当にしっかりと理解することができれば、人間は苦しみから遠ざかり離れることができる。
それが仏道を歩むということである)
仏教は、「すべては変化し続けて一定ではない」という無常を知ることによって、老いも病も当然の現象だと引き受け、積極的に引き受けて生き抜けと言います。
喜びも悲しみもみんな背負って生き抜きましょう。
「一切の形成されたものは苦しみである」と
明らかな智慧をもって観るときに
ひとは苦しみから遠ざかり離れる
これこそ人が清らかになる道である
意訳:
生きるということは、思いどおりにならない(苦しむ)ということであると本当にしっかりと理解することができれば、人間は苦しみから遠ざかり離れることができる。
それが仏道を歩むということである。
「一切の事物は我ならざるものである」と
明らかな智慧をもって観るときに
ひとは苦しみから遠ざかり離れる
これこそが人が清らかになる道である
意訳:
我でないものを我であるかのように執着しないと本当にしっかりと理解することができれば、人間は苦しみから遠ざかり離れることができる。
それが仏道を歩むということである。
自灯明・法灯明
自己こそ自分の主である
他人がどうして(自己の)主であろうか
自己をよくととのえたならば 得難き主を得る
意訳:
「自分というもの」は、意識の連続性の中にある。
「自分というもの」を整えることができるのは、自分だけだ。
よく整えられた自己こそ、「自分というもの」を安寧の連鎖へと導くのである。
たとえ他人にとっていかに大事であろうとも
(自分ではない)他人の目的のために
自分のつとめをすて去ってはならぬ
自分の目的を熟知して 自分のつとめに専念せよ
意訳:
自分のすべきことを誠心誠意なすべきである。
他者に振り回されてはならない。
自分というものをよくよく知った上で、為すべきことを為せ。
『ダンマパダ』には「神に頼りなさい、依拠しなさい」というようなことは述べられていません。
神に依存せず自らどこへ向かうべきかを、まさに自由な宗教的実存を語っています。
仏教が「神なき宗教」と言われるところです。
今、ここに私がいる
仏教が説くのは、「今ここに私がいることの不思議」です。
今、ここに私がいる、その存在がどれほどの関係性の中で成立しているかを自覚することも仏教で語られる実存です。
仏教では、「今・ここ」にしか私は存在し得ないと考えるのです。
仏教は、現在ただ今の一瞬しか世界は実在しないと説きます。
つまり時と存在は不可分であり、またそれが一瞬一瞬の連鎖により成立しているということです。
「今・ここ」にしかこの世界は存在しないわけです。
自分を整える
もしもひとが自己を愛しいものと知るならば
自己をよく守れ
賢い人は
夜の三つの区分のうちの一つだけでも
つつしんで目ざめておれ
もし、あなたが自分自身を愛しく思い、自分自身を大切にしたいと思うならば、自分を整えることです。
「夜の三つの区分」とは、「人生には三つの時期があります。
青(少)年期・壮年期・老年期です。
せめてそのうちの一時期だけでもよい、心身を整え、利他行為を実践し、自分自身をよく見つめてみよう」ということです。
まず身体を整えましょう。
言葉を整えましょう。
そして、心を整えましょう。
『ダンマパダ』では、「整えられた心は安楽をもたらす。 そして正しい方向を向いている心は、父母や親戚よりも私を守ってくれる」と述べられています。
釈 徹宗
兵庫大学生涯福祉学部准教授。1961年、大阪府出身。龍谷大学大学院、大阪府立大学大学院博士課程を修了。学術博士。大阪府にある如来寺(浄土真宗本願寺派)住職。また、お寺の裏にある一軒家で地域の認知症高齢者のためにグループホームを運営するなど、多彩な活動を展開する。