神道は古来「カミノミチ」と呼ばれていました。
カミノミチとは、「神が自然にお立てになられた道」ということです。
すなわち神道とは「神々の行いに習っていく道」ということなのです。
一即多、多即一
日本の神は、八百万(やおろず)の神というように多くの神々が存在します。
神々は、ただ秩序もなく存在するわけではありません。
主宰神とでもいうべき神がいて、その他の神々はその仕事の一部を担っているのです。
『一即多、多即一』
一神がその働きによって、八百万の神となって現れ、その多くの神々も実は一に帰するのです。
私たちは神々の末裔
天孫降臨(てんそんこうりん)した神々の末裔(まつえい)として有名なのが、邇邇芸命(ににぎのみこと)の末裔の源氏、平氏、橘氏です。
藤原氏は、天児屋命(あめのこやねのみこと)の末裔です。
その他の人々も、源流はわからなくなりましたが、神々の末裔であるというのが神道の考え方です。
まさに私たちは「神々の末裔」なのです。
私たちが神の御子としての自覚をもって行動するとき、自ずとそれは神の道に適うのです。
他の宗教では戒律が多くありますが、神道にはありません。
何をしろ、何をしてはならない、ということはないのです。
神道では、人々はもともと神だからです。
人はすべて生まれながら、美しい心をもっているのです。
大宇宙の創造の一端を担う
人間は神の子として、心身を神よりうけています。
神の子として、本性のままに、当たり前のことを、当たり前のように行う。
古神道では、人間の心身は、大宇宙の創造・進化の一端を担う大切な存在としてとらえられているのです。
古神道の身体論
古神道には、人を小天地(小宇宙)とする考えがあります。
人体は小宇宙であり、宇宙の縮図ととらえています。
私たちは天御中主神(あめのみなかぬし)より一霊をうけ、永遠不死不滅の真生命が活動しているのです。
私たちは大いなる親神に対して、神の子(凝)であり、小神であるのです。
大元霊の創造の一端を担っている尊い存在なのです。
神も仏も同じ
神道ではこの大生命を神といい、仏教では仏といいます。
神という言葉は、「カクリミ」が短くなって「隠身(カミ)」となったのです。
時間空間の世界に、その本体は現れないため、「カミ」というのです。
もともと人間の生命は、時間空間以前の世界にある「カクリミ」のため、一切の制約から解脱(ほどけ)ているのです。
このホドケた状態を仏というのです。
言霊学的には神も仏も、もともと同じものということになります。
古神道と武道
古神道と武道の身体論は、密接に関連しています。
神道は「惟神(かんながら)道」と称し、日本の武道は「惟神の武道」とも呼ばれます。
人間は小宇宙と考えられ、身体は宇宙の一切を具現しているといわれます。
この小宇宙の中心に存在するものが「肚(丹田)」になるのです。
武道のほとんどの流派では、丹田を主体とした動きが強調されています。
柳生十兵衛の新陰流でも、身体の中心部の臍(丹田)に意識を置くことの大切さを説いています。
まず丹田から動く
気を丹田に置いている人は、手足よりも先に丹田が動きます。
丹田が運動の中心となるのです。
武道の達人や諸芸の名人は、それを心得た身体の使い方をしています。
武道の動きは至極合理的にできてます。
また日常での一挙手一投足でも、すみやかに楽にできる身体操作となっています。
剣の名人・山岡鉄舟は「剣を用いるにあたって、手で斬るのではなく、身体の中心である肚で斬ることが大切だ」と語っています。
自由自在な身体を得る
肚(ハラ)が重視されるのは、武道、能楽、茶道など各種の稽古事だけではありません。
これは日常生活においても同じことです。
何かするとき、話をするとき、食事をとるとき、路を歩くときも、常に丹田に気を収めるのです。
そして、胸と肩とを開き、気を偏らせず、滞らせず、全身に気が充実するように心がけるのです。
普段からこれを心がけていれば、不意の出来事にもうまく対応することができるのです。
日本古来の武道は、「形」を日々鍛錬することによってそのような身体を作り上げてきました。
身体が安定し、気が充実しているから、剣の名人にも隙を見ることができないのです。
突然の危難にもすぐに対応し、事に際して自由自在に動けるように人間を変えことができたのです。
これは古神道においても同じです。
日々の一定の「形」の神拝を繰り返し続けることで、正しい姿勢や動作を習得することができます。
さらに天地と自分とが一つのものであるということを、自然と悟れるようになっているのです。
中心に統一された身体は美しく、その動作も優美なものです。
丹田は宇宙の中心
「肚(ハラ)」は、小宇宙の中心であり、身体動作の根元です。
この「肚」に、一気(一霊)を収めて行動することで、身体動作の自在をえることができるのです。
「肚」に気を充実させ、身体全体に気をみなぎらせる。
その気をさらに宇宙に広げることによって、自らが大宇宙とも一体であることをも覚知することができるのです。
丹田の力が増すと、自分自身が小宇宙(絶対的存在)であることが悟りやすくなります。
身体の中心における肚(天之御中主神)と、心の中心である一霊(天之御中主神)とは表裏一体の関係なのです。
古神道における神拝作法のみならす、惟神)の武道においても、この二つが車の両輪のように働いているのです。
古神道の身体秘伝―「古事記」の密義 | ||||
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大宮司朗(おおみや・しろう)
幼少より霊学・古神道にかかわりのある環境に育ち、研鑽を重ね、太古真法(斎宮神法)、幽真界の各種神法に通じ、現代日本における玄学の第一人者として論文著作は多数にのぼる。その一方、大東流合気術師範、また同流の総合的な研究者としても知られている。玄学修道会および大東流合気柔術玄修会を主宰する。著書に古神道の最終奥義である斎宮神法を開示した『太古真法玄義』のほか、『古神道玄秘修法奥伝』『言霊玄修秘伝』『神法道術秘伝』(以上八幡書店)、『実践講座1 呪術・霊符の秘儀秘伝』『実践講座2 古神道行法秘伝』『実践講座3 まじない秘伝』(以上ビイング・ネット・プレス)など多数がある。