「究極の損得勘定 Part2」小林正観

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日本の教育システムは「手に入っていないもの」を挙げ「それを手に入れることが幸せ」ということを教えてきました。

「努力しなければダメ」「頑張らないとクズ」と教えてきたのです。

一方、「すでにたくさんのものをいただいている」「すでに充分恵まれている」との考えかたに至った人たちも存在します。

「喜びながら」「幸せを感じながら」「感謝しながら」生きる。

「既に充分恵まれている」「普通に淡々とした日々が幸せ」という「幸せ論」もあるのです。

「頑張らなくても良い」という生きかたは、損得勘定としても楽な生きかたです。

 

「笑い」と「肯定」

神が好む人間の行為ベスト3は、「掃除」「笑い」「感謝」の三つの「そわかの法則」です。

神は掃除をする人が好き、笑顔や笑い声が好き、感謝する人が好きらしいのです。

「掃除」と「感謝」は、いわゆる善行です。

ここに「笑い」が入ってくるのは、実は「笑い」は「肯定」を意味しているからです。

「笑い」とは、肯定であり、受け入れること。

実は目の前の現象を起こしてくださっている地球や宇宙や神様に対して肯定したということです。

「肯定」とはイコール「喜ばれた」ということ。

神様は、喜ばれると嬉しくてやる気になって応援支援をしようと思うみたいなので、肯定的な人にはどんどん味方をしてくれるようになります。

 

喜びを見いだす

「ついてる」「恵まれている」といっていると、心ある人が寄ってきます。

あやかりたい、そういう人と付き合いたいと周りの人は思うのです。

口から出てくる言葉が肯定的で、感謝に満ちていて、明るいものであると、そういう人が集まってくるのです。

これは気持ちだけの問題ではなくて、宇宙の法則として確かに存在します。

神様は、喜んでいる人には、「そんなに喜べるんだったら、もっとよろこばしちゃおう」と思うらしいのです。

どんなことが自分の身に降りかかっても、それを「不幸」と言わずに乗り越えることができたら、次の段階で何が降ってくるか楽しみでしかたがない。

大変かもしれないけど、その中であえて喜びを見いだす訓練をするのです。

愚痴や泣き言を言わないで、喜びを口に出せるようになると、事態が急転するという構造になっているようです。

 

宇宙からのプレゼントはこの瞬間にある

英語で「過去」を「Past」、「未来」を「Future」、そして「現在」を「Present」と言います。

現在、何も起きていなくて、普通に淡々と時間が過ぎていく。

この瞬間こそが、「何も起きていない」のではなくて、宇宙や神からの最高の「プレゼント(贈り物)」がきているということです。

宇宙からのプレゼントは、過去にあるのでもなく、未来にあるのでもなく、今、この瞬間に降ってきている。

何かが起きてくれた幸せなんだけどという考え方では、いつまでたっても幸せにはなれない。

もともと「幸」という漢字は、手かせ・足かせから、人間が自由になった状態を表したものなのです。

 

自分のために「ありがとう」を言う

「ありがとう」は、人のために言うのではなくて、自分のために言うものなのです。

誰も何もしてくれない時に、宇宙に向かって「ありがとう、ありがとう」と言っていると、おもしろいことに「現象」が起きる。

自分が「こうなったらいいな」と思っていたことが実現する場合があります。

ただ、執着しているとダメです。

「こうならなきゃいやだ」と思っている場合は「現象」は起きません。

「執着」していると、向こうとつながらない。

何事もなく、ただ無事に生かされていることにお礼を言うことができる。

何も起きていないこの瞬間瞬間が、実は神からの最高の「プレゼント」です。

日常生活の中に、喜びや幸せを感じ、感謝することができたら、その人は、何もなくても何も起こらなくても、ずっと幸せに生きていくことができます。

さらに、そのように感謝に満ちて生きている人というのは、「四次元の存在」が応援支援をしたくなるみたいです。

 

努力は「傲慢」

宣伝や営業努力の結果でものが売れるという形態は20世紀までの売り方です。

21世紀は、いかに四次元的な存在を味方にするかを考えるほうが早道です。

喜ばれるように生きていくこと。

「頼まれごと」のためにひたすら実直な、愚直な、誠実な仕事をした人が天の支援を得られるという構造になっています。

商品が売れるとか、広まるとか、成功するということは、本人の力ではないのです。

決定的な部分はすべて、周囲の人のおかげです。

また目に見えない四次元の存在のおかげということがわかったら、あとはただ感謝であり、ありがとうと手を合わせることができるのです。

 

投げかけたものが返ってくる

宇宙の構造というのはすごく簡単です。

自分が投げかけたものが返ってくるのです。

自分に楽しいことが、宇宙から降ってくるという人生がほしいのであれば、たくさん投げかけることです。

喜ばれるようにと投げかけると、自分にとって喜べるようないろいろな現象が降ってきます。

 

すべては「空」

釈迦が2500年前に得た4つの悟り「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」を、『四諦』と言います。

まず、人間の生活というものは「苦」に満ちていると釈迦は悟りました。

釈迦が悟った「苦」とは「思いどおりにならないこと」という意味でした。

災難を浴びていることが「苦」ではないのです。

「この世は『苦』に満ちている」という言葉の本当の意味は、結局は自分だけの問題だということになります。

外から降ってくる不幸や悲劇は存在しない。

全部内側、自分の「思い」の問題だったのです。

釈迦は、思いどおりにしたいという「執着」を持たなければ、人間はすべての「苦」から解放されることに気づいたのです。

実際にそういう構造になっていることを理解した結果、釈迦はすべての煩悩から自由になったのです。

 

思いどおりに「される」人生

自分の人生を、自分の思いどおりにするのではなく、「思いどおりにされる」という人生もかなりおもしろいものです。

宇宙さんや地球さん、周りの人々から、「思いどおりにされる」人生です。

要するに、こき使われて死んでいく。

生きることも、老いることも、病むことも、死ぬことも、自分の思いどおりになるわけではない。

「思い」をもたないで、頼まれたことをやりながら、こき使われていたら、結果としては、ものすごく楽な人生が味わえます。

頼まれやすい人になって頼まれごとをひたすらやっていけば、喜ばれる存在になる。

とにかく頼まれごとを断らないでやっていくと、だんだん同じようなことを頼まれていることに気づきます。

そして2~3年やっていくと、「私はこれをやるために生まれてきたのかな?」と気づく日が訪れます。

これを「立命」の日と言います。

それがわかったら、あとはそれをやって疲労困憊して死ねばよいだけ。

人間の生きる目的とは、何かを成し遂げることではなく、「いかに喜ばれる存在になるか」です。

本当に喜ばれる存在になったら、投げかけたものが返ってきます。

自分の周りにも、喜びがたくさん降ってくる。

人に喜ばれれば喜ばれるほど、自分の人生がどんどん楽しいものになっていきます。

 

人生は後出しジャンケン

私の人生は100%思いどおりになっています。

「思い」がないので、思いどおりになっているのです。

何かをどうしようかと思っていないので、目の前に生じてくることが全部思いどおりだと思えばよいだけ。

人生は、「後出しジャンケン」です。

勝つことも負けることも自分で選べる。

なにか起こったことに対して、「そうきましたか」と追認すればよい。

事前に「思い」があるから「思いどおりにならない」という結論になってしまうのでしょう。

もともと思いを持たないで、目の前の現象をその都度、思いどおりだと認めればよい。

従って、「思い」がないと「軽い」、軽い人生。

それが「夢も希望もない」楽な人生という意味であり、100%思いどおりの人生なのです。

 

相手をまるごと認める

すべての人間関係は、その人がその人であるという、そのことをまるごと受け入れるということに尽きます

その訓練のために、私たちはこの世に生命をいただいているのかもしれません。

目の前の人が、自分の考え、生き方、価値観とは違うということを認めること。

それを学びにきている。

この人をどうにかしようと思うから苦しいのであり、思いどおりにならないのです。

その都度「ああ、そういう人でしたか」と思えば気にならない。

結局、自分の思いをふりまいてふりまいて、相手を変えようとしているうちは何も変わりません。

それを「受けいれられるような私」を作ってしまったら、問題がどこにもなくなります。

 

「念」を入れて生きる

「今」を大事にする「心」が「念を入れて生きる」ということです。

「念」とは「今」の「心」と書きます。

今、目の前にある事・人・物を大事にすること、それが人生で今、唯一できることなのです。

ところが、わたしたちは「未来がある、明日がある」と洗脳されてきました。

「明日」という日は永遠にきません。

今しか生きることはできない。

目の前の人のことしか大事にできません。

 

「執着」しない

「執着」があると、願いは全然叶いません。

「強く念ずれば必ずや願いは叶う」という構造であったら、ガンで死ぬ人はいません。

倒産する会社もないはずです。

「『執着』しないと、その望みは叶うことがある」というのが、宇宙のしくみなのです。

通常の人で脳細胞は15%ほどしか使いませんが、一般に「頭が良い人」というのは、20%~25%ほども脳細胞を使っています。

ですから、脳細胞を何個持っているかではなくて、何%使用しているか(脳細胞に電気が流れたか)が問題です。

脳細胞が動くためには、「意思」が必要です。

その場合に、楽しさ、おもしろがっている度合いが強まると、電気信号が脳細胞の中にたくさん流れるのです。

反対に、イヤイヤやっているときには、電気信号が流れない。

自分の意思で楽しいことを楽しんでやっている場合には、電気がどんどん流れていく。

執着があると、人間の能力は15%の領域までしか使われないのです。

逆に執着がなくて、「そうならなくてもいいけど、そうなったら嬉しい」と思った時、人間の脳からは不思議な脳波が発せられるらしいのです。

 

運命とは人との出会い

「運命」とは「運ばれてくる命」のこと。

「運ばれてくる」のは、「人によって運ばれてくる」のです。

「運命」とは、「人との出会い」のことです。

重要なポイントで「運命」を示してくれる人がいて、それに素直に従っていると、「私はこういうことをするために生まれてきたのかな」と思うようなところで活動していることに気付きます。

「立命」の瞬間であり、いつの間にか「やらされていること」が「天命」です。

この考えかたで生きてみると、力を入れる必要もなく、努力目標や達成目標は要りません。

ただ、目を見開いて、道を指し示してくれる「人」を見つめるだけ。

「究極の損得勘定」の結果として、こういう生きかたを選ぶのも楽しいものです。

 

究極の損得勘定 Part2
小林 正観(こばやし せいかん)
http://www.skp358.com/
1948年、東京都生まれ。中央大学法学部卒業。学生時代より潜在能力や超常現象に興味を持ち、旅行作家のかたわら研究を続け、今日に至る。年間約300回の講演会の依頼があり、全国を駆け回る生活を続けている。『宇宙を味方にする方程式』(致知出版社)、『「そ・わ・か」の法則』(サンマーク出版)、『もう一つの幸せ論』(ダイヤモンド社)など著者多数。2011年10月12日永眠。

 

 

 

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