大峯千日回峰行は、一日48キロの険しい山道を16時間かけて年間約4ヶ月、奈良の吉野山から大峯山の標高1749メートルの山まで往復するという9年がかりの修行です。
定められた期間は、絶対に途中で行をやめることはできません。
もし、途中で断念する場合には、短刀で腹を切るという厳しい掟があります。
正しく生きる
なぜ『行』をするのかというと、大自然という厳しい環境に身をおいて、自己を見つめ、心を正し、反省と感謝のくりかえしのなかで、人生のあり方を根本的に見つめ直し、心を成長させるからです。
山の行も、人生も、いろいろなつらいことや苦しいこと、思い通りにならないことがたくさんありますが、その与えられた環境のなかで、常に満たされた心をつくり上げるために、行や人生があるのです。
どんなときでも謙虚で素直な心をもち、『正しく生きる』という姿勢で、一歩前に踏み出し、人生を歩み続けていると必ず道は開けます。
いつも微笑む
苦しいときこそ精一杯、周りの人に思いやりの心をもつことです。
いつも微笑んでいることです。
その功徳がまわりまわって自分の心を潤します。
昔から「笑う門には福来る」といわれていますが、笑顔をたやさない人には自然と幸福がおとずれます。
つらいことや苦しいことがあっても、逆に苦しさをも生かし、微笑んで福を招き入れることが、自分を支えてくれる人に対しての恩がえしです。
自分一人だけが苦しいと思わずに、みんな共に生きているのだという思いやりの心をもち、笑顔でいること。
それが人と人の潤滑油の役割をはたし、皆の心を潤して円満になるのだと思います。
行に挑む心
「行」とは日常生活においては「行い」であると思います。
私たちがどういう行いをするかによって、人生が良いほうに行くか、悪いほうに行くかが決まるのだと思います。
良いことをすれば良い人生になり、悪いことをすればそうでないことになります。
つらいこと苦しいことをのりこえて成長するからこそ、生きる喜びというものを実感できます。
精一杯努力している人は輝いています。
正しく生きている人には必ず道が開きます。
一日一日を積みかさねるということはまさに行であり、どのような心構えで日常をすごすか、まずはここが基本となります。
すべては心しだい
私は、いつどんなときでも「今が一番幸せ」と思うようにしています。
自分が幸せだと思ったら幸せです。
すべては心しだい、考え方しだいです。
人には、それぞれに与えられた環境のなかで、なさなければならない役目があります。
それと同じように、それぞれの立場で、またそのときどきに応じて努力しなければならないことがあります。
そのときに一番大切なことは、自分がどう判断し、どのような心構えをもつかということです。
その結果が自分の人生となり、明日の自分につながります。
与えられた環境のなかで、いろいろな状況のなかで、清らかな心を持って、正しい行いをして歩んでいかなければなりません。
心が開けば運が開ける
人生にも、その時々の流れがあります。
その人生の流れの本流にのって逆らわず、また物事の本質を見極め、欲を出さず、どんなときでも感謝をしていきる。
そうすると、本流ではない流れに流されず、自然な流れのままに人生を歩むことができるようになる。
これを運が開くというのではないでしょうか。
どんな人生の流れのなかにあっても常に心が開いていて、与えられたありのままの環境のなかで、いつも感謝の心で充実した人生を送ることが、できるようになることをいうのではないでしょうか。
どうせ同じ人生を歩むのなら、心のとびらを開き、どんなときでも心明るく、笑って人生の流れを楽しんだほうがいいのではないでしょうか。
そうすることにより、いつも良いめぐりあわせが、めぐりめぐってまいります。
こんな幸せなことはありません。
人生、よいことも悪いことも半分半分です。
つらいことや苦しいことがあっても、心が正しければ必ず道は開きます。
そしてまた、輝ける人ほど道は開きます。
すべては、今の心しだいです。
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塩沼亮潤
http://www.jigenji.net/index.html
昭和43年仙台市生まれ。61年東北高校卒業。62年吉野山金峯山寺で出家得度。平成3年大峯百日回峰行満行。11年吉野・金峯山寺1300年の歴史で2人目となる大峯千日回峰行満行を果たす。12年四無行満行。18年八千枚大護摩供満行。現在、仙台市秋保・慈眼寺住職。大峯千日回峰行大行満大阿闍梨。