皇室を知ることは、日本を知ること。
そして、日本人のアイデンティティを、知ることでもあります。
日本が、世界に誇るべき天皇の真の姿とは・・・
祭祀王としての天皇
天皇は「祭祀王」である。
天皇はエンペラー(皇帝)ではない。
皇室の古代以来の伝統、それは祭祀を重んじることだ。
祭祀によって国の平安と民の安寧を祈る、
無私の存在。
それが天皇である。
古来、天皇の最も重要なつとめは、祭祀を行うことであるといわれ、元旦の四方拝に始まって、祈年祭、春秋の皇霊祭、神嘗祭、新嘗祭など、天皇は年間30回にも上る皇室祭祀を行われる。
国の安寧を祈り続ける
日本においては、「民」が「天皇」の存在を滅ぼそうとしたことは、歴史上いまだかつてない。
それは天皇が世俗的君主と異なり、祭祀を司る存在だからである。
公のため、民のために祈る存在であり、私利私欲とは全く無縁だからである。
幾千年の歴史を経て、今現在もその万世一系の子孫が、国の祭祀を司る最高権威者の地位にあり、国の安寧を祈り続けておられるのだ。
天皇とはそのような、世界にも類を見ない、奇跡のような存在なのである。
天皇の起源は神話にある
日本の天皇の起源は神話にある。
天皇は国民の安寧を祈る祭祀王だから欧州でいえば王室よりもローマ法王に近い。
そもそも神話に起源を持つ祭主がいる国というのが、世界でも珍しい。
天皇は国民と対立関係にないから、日本では革命が起こらないのである。
天皇とは「祭祀王」であり、祭祀を行うことこそが天皇の本質である。
「公」の存在
天皇に「権力」はない。
だが、「権威」がある!
それは江戸時代も今も変わりはない。
その権威の根拠は神に求めるしかなく、それゆえ天皇は祭祀王として、権力より上位に君臨しておられる。
その天皇が民のために祈る。
民の安寧をひたすら祈る。
権威である天皇に「私」はない。
天皇は「公」の存在であり、民のために祈るのが務めなのだ。
天皇はカミである
天皇は元々、西欧流の「GOD(絶対神)」ではなく、漢語の「神(しん)」でもない。
ただし、大和言葉の「カミ」である。
神話から万世一系で続き、祭祀によって聖徳を保ち、権威を帯びて民をシラス「アキツミカミ」である。
両陛下を見て、「慈悲」や「公」や「聖なるもの」を直感するのは、国民を思う姿、無私・無欲で暮らされる姿しか見ないからである。
その真実の姿が「祭祀」を、人知れずなさっておられる「カミ」だからである。
天皇は絶対神でもなければ、独裁者でもない。
天皇は我々の魂の中にある。
天皇を中心に置いた「支配なき自己統治」こそが、日本の国体なのである。
ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論 | ||||
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小林 よしのり
昭和28年、福岡県生まれ。昭和51年、大学在学中に描いたデビュー作『東大一直線』が大ヒットする。平成4年「ゴーマニズム宣言」の連載がスタート、「ゴー宣」本編のみならず『戦争論』『沖縄論』『靖國論』『いわゆるA級戦犯』『パール真論』といったスペシャル編も大ベストセラーとなり、つねに論壇・言論界の中心であり続ける。平成21年、満を持して発表した『天皇論』は即ベストセラーに