「御力」葉室頼昭

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 葉室 頼昭

 

外国人は善か悪か、イエスかノーかというふうに、対立でものごとを考える人が多いようです。

宗教でも、神様と悪魔、善と悪、神様が天と地を創造し、そして人間に対していろいろなことを命令される。

人間は天におられる神様に対して、自分の願いを伝える。

神と人間との関係でも、対立的、個別という考え方が非常に強いようです。

 

一方、日本人は神様も祖先も我々も一つにつながっているという考え方をします。

『古事記』の最初にある「神代編」には、神様の誕生の話が連綿とつづられています。

日本では神様もまた実在の世界から生まれてこられるという考え方をしています。

これは生物、特に植物が成長していく姿そのものです。

植物の実というものは、根っこから栄養を摂って、幹が太って、枝が伸びて葉っぱが茂り、花が咲いてそして実が生る(なる)という経過によって現れてきます。

この「生る(なる)」という言葉どおり、神様もこのようにして生まれ、誕生してこられるという日本独特の考え方なのです。
日本人は古来より祖先、そして神様と一つにつながっているという考え方で生きてきた民族です。

全知全能の神様が手の届かない別世界におられ、すべてを司っているという考え方はしていなかったのです。

 

神様を敬う民族

日本人は神様を信じるというより、神様を敬う民族ではないでしょうか。

最高のもの、最上のものを神に捧げるという、素晴らしい敬神のこころの表れです。

当時でも最高のものを神様に奉納、捧げるということは大変だったことでしょう。

しかし、それを行うところに日本人の純粋さ、神を敬うこころがあると思うのです。

こういうことを日本人は知らなければいけないし、子供に伝えていかなければいけない。

日本人というのは、神を信じるとか信じないという民族ではなく、神を敬う民族なのです。

 

恵みをいただくには

春日大社は平安時代からのお祭りをそのまま頑なに守ってきています。

この神社でのお祭りは、自分の我欲、例えば健康にしてほしいとか、お金持ちにしてほしいとか、そういう願いは一切込められてはいません。

ただ神様と一つとなり、神様を認め、神様をお悦ばせしようということしかしていないのです。

これが祭りの本来の姿なのです。
日本人は昔から神様に悦んでいただければ、願わなくてもお恵みがいただけると信じてきました。

神様を最高にお悦ばせすれば、神様も最高のお恵みをくださるというのが真実だと思うのです。

神様と一つになるためにどうしたらいいかということを常に行っているのが神社です。

また、日本人の本来の生き方を実践しているのは、今は神社しかありません。

神社が行っている伝統というものを皆さんにもよく見ていただき、日本人の本来の生き方を知って欲しいのです。

 

お祓いのこころ

神様と一つになるその根本にあるのは「祓い(はらい)」です。

神社では、祓いということを毎日のべつまくなしにやっています。

この「祓い」というのは、「罪」「穢れ」というものを祓うというものです。

「罪」とは、神様がお生みになられた素晴らしい人間本来の姿を包み隠してしまうようなものを言います。

「穢れ」とは、日々我々を生かしてくださる神様の尊い気を枯らしてしまうようなものをいうのです。

これらはすべて我欲の表れであるとして「お祓い」するのです。

 

それでは一体、日本人にとって祓いとは何なのでしょうか。

これは理屈ではなく、経験で伝わってきた日本人の知恵です。

神社では昔から、『言葉』と『水』によって祓うということがなされてきました。

 

言葉による祓い

言葉で祓うとは、祝詞(のりと)でも特に「大祓詞(おおはらえことば)」という祝詞を唱えます。

この祝詞を唱えることにより、罪・穢れが祓われるということを昔からやってきているのです。

この「大祓詞」とは、昔、春日大社に携わる人が神の声を聞いて、これを大和言葉で書いたものだと言われています。

この長い祝詞は、まさに神の声であり、真実が書かれています。

その祝詞に込められた言霊の力によって罪・穢れが祓われるのです。

 

大祓の祝詞は漢字で書かれていますが、大切なのは漢字の意味ではありません。

祝詞の言葉の奥に含まれている神様のおこころなのです。

この世の中で永久に続くものは神の知恵、神様のおこころしかありません。

このように長い間絶えることなく続いているものは、そこには神のいのちが存在するということなのです。

祝詞の意味を考えずに、無我になって唱えれば、神の素晴らしいおこころが体深く入り、自ずから罪・穢れは消えていくのです。

これが消えることで、罪・穢れが我々を生かす素晴らしい力に変わっていくのです。

神社では昔から、『言葉』と『水』によって祓うということがなされてきました。

 

水による祓い

水による祓いは、ただの水ではなく、体を清めるだけの力を持った水によって祓います。

神を祀ることによって日本の水がきれいになったということは、本当のことではないでしょうか。

日本人は昔、山は登る対象ではなく、神様がおられ、拝むところだと思っていました。

そのお蔭で、日本は世界に稀なる清らかな水のある国になったと思います。

しかし、戦後になると人はそれを忘れ、外国のように山は征服するものだという考えに惑わされ、山に登り自然を破壊してしまったのです。

今はいろいろな場所から湧き出た水を、ミネラルウォーターと称して販売しています。

非科学的だといわれるかもしれませんが、昔からいい水が出るという場所には必ず神社があり、神様が祀られています。

神を祀ることによって神様の素晴らしいお力が水に含まれて、そういう水が出てくるのです。

神社でやっている手水(ちょうず)というのも、単に手を洗うためのものではありません。

そういう力を持つ水で手を洗うことによって体全体が清められると考えるのが、日本人の考えです。

 

神様や祖先に感謝すること

日本人の祖先とは、日本人の共生という、自然と一つになるという生き方を始めた人たち。

そして日本語という言葉を通して、お互いこころが通じ合うようになった人たち。

我々と共通の生活習慣を始めた人を日本人の祖先というのではないでしょうか。

遺伝子学的では、そういう祖先の記憶が我々の遺伝子にも入っているのです。

それをフルに活用していくということがいのちを伝えるということであって、これが民族が栄えていく本当の道ではないかと思います。

世界広といえども、日本人のように祖先の祀りを常に行う民族というのは、数少ないようです。

その一つの理由として、この日本列島というところに長年住んでいるうちに生まれた自然と共生するという生き方からきたようです。

この共生というのは、一緒に生きようというのではなく、一つになろうという生き方です。

これが原点になって、そこから神様や祖先に生かされていることに感謝するという生活が育まれてきたと思うのです。

 

日本人の遺伝子を目覚まさせる

神社でのお祭りについても、祖先のお祭りに関るものが数多く行われています。

また、神社にはいろいろな神様がお祀りされています。

過去に実在していた方もおられるし、また高天原におられた天の神様もいらっしゃる。

こういう神々もすべてつながっている。

医学的に見れば、祖先からの遺伝子というものが我々の体の中に入っています。

何もしなくても働く遺伝子もありますが、中にはこちらから一生懸命働きかけなければ活動しない遺伝子もあります。

つまり、祖先に感謝するとか、そういうことをしないと働かない遺伝子もあるわけです。

常に祖先の祀りをすれば、祖先から受け継いだ遺伝子が目覚め、その働きによって我々も健康で幸せな生活を送ることができるのです。

遺伝子学的な観点から見れば、祖先のお蔭で生かされているということは事実です。

この恩に感謝するということは当たり前のことなのです。

 

時の流れを読む

この世の中というのは、まさに流れのようです。

この時代の流れを読む、つかむことができるのが「景気」。

それができない人が「不景気」のようです。

このことがわからない人が企業のトップにいると会社は傾いていきます。

戦後の人は目先の欲ばかりで生きるものだから、時の流れ、未来を見通す力がない。

それでは、どうしたらその時の流れを読むことができるのか。

それはやはり我欲を捨てるということに尽きるのです。

といっても、自分の意思で我欲を捨てるのではありません。

すべて神様のお導きに従うという人生を送ることにより、時の流れがわかるようなになってくるのです。

 

我欲を捨てて神と一体になる

我欲を捨てるということは並大抵のことではできません。

昔から日本人は我欲を捨てるのではなくて、神様に近づき、神様と一つになる。

ことあるごとにお祓いをし、知らない間に我欲が消えていくようです。

神道では毎日毎日が我欲をなくす生活です。

これほど厳しい生活はありません。

それを行ってきたのが神道の祓いなのです。

もし病気にかかったら無理に消すのではなく、自然に消えるというのが祓いの考えです。

つまり、祓いにより、神様の生命力、プラスのエネルギーが体に入ってくれば、病気や罪・穢れなどのマイナスのエネルギーを持つものは自然に消えていくのです。

神様は、この地上世界に素晴らしい人間をお生みになった。

その人間が、罪や穢れで本当の姿が見えなくなってしまっただけなので、素晴らしい神様のお力を体の中に入れて、本来の素晴らしい力を現すのがが祓いの根本です。

罪・穢れというのは、我欲の表れです。

この我欲を消していけば自然と神様と一つになれるのです。

そうすると悩み苦しみというのはなくなり、神様のお導きというのがそこに現れてくるのです。

 

 

御力

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葉室頼昭
1927年、東京生まれ。学習院初・中・高等科をへて大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部助手、大阪市大野外科病院長などをへて、1968年、葉室形成外科病院を開業。医学博士。1991年、神職階位・明階を取得。枚岡神社宮司をへて、1994年、春日大社宮司。1999年、階位・浄階、神職身分一級を授与さる。2009年、逝去。著書に、『〈神道〉のこころ』『神道と日本人』『神道 見えないものの力』『神道〈いのち〉を伝える』『神道〈徳〉に目覚める』『神道 夫婦のきずな』『神道と〈うつくしび〉』『神道と〈ひらめき〉』『神道〈はだ〉で知る』『神道 感謝のこころ』『神道 いきいきと生きる』『心を癒し自然に生きる』『CDブック 大祓 知恵のことば』『神道 おふくろの味』(以上、春秋社)『御力』(世界思想社)『にほんよいくに』(冨山房インターナショナル)など。

 

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