シンクロニシティの法則
宇宙には、目に見える物質的な秩序の背後に、目に見えない「精妙な秩序」が存在します。
それは、日常生活の中で、「シンクロニシティ」として観測できます。
その「精妙な秩序」の法則性を見いだせば、「運命の法則」にアプローチすることが可能になります。
「運命の法則」を体感するための第一歩目は、日常生活の「シンクロニシティ」を見いだしていくことです。
心を開いて受け入れると、自分自身の人生が驚くほど多くの「シンクロニシティ」に彩られていることを発見するでしょう。
「シンクロニシティ」に目を向けることで、人生が楽しくなります。
心の底からの喜びに耳を傾ける
自らの内部からこみ上げてくる喜びや楽しさを追い求めると、人は「フロー」という状態に入ることができます。
「フロー」は人にとって、喜びや楽しみの源泉であり、好運をも招き寄せます。
「フロー」に入るためには、いくつかのコツがあります。
その中で最も基本的なのが、「内発的報酬」に素直に従うということです。
心の底からこみ上げてくる喜びや楽しみに、敏感に耳を傾けていくのです。
これは、意外に難しいことです。
私たちは幼少のころから、それとまったく逆の教育を刷り込まれてしまっているからです。
エゴを追求し続ける現代社会
現代社会では、金銭、地位、名誉、マイホームなどを目指して、必死に努力することが正しい人生だと信じられています。
ほとんどの人は「外発的報酬」中心の人生を送っているのです。
表現を変えれば「エゴの追求」を中心にした人生ともいえます。
そのため、心の底からの喜びや楽しみの要求、つまり「内発的報酬」を感じにくくなってしまっています。
好運と不運は表裏一体の関係
「人間万事塞翁が馬」
この故事は、様々に解釈できます。
好運があるかと思うと不運があり、両方が平等に訪れてくる。
一見不運に見えることの中に好運が隠されており、好運に見えることの中に不運が隠されている。
我々の身の回りに起きる出来事には、好運も不運もなく、すべてが中立だ。
それを好運とか不運とか感じるのは、単に我々がレッテルを貼っているにすぎない。
物事すべてはうまくいくようにできている。
いずれの解釈も正しく、物事をどの深さでとらえているかで違ってきます。
ただしその背後に、「もしすべてを淡々と受け入れることができたら・・・」という条件が隠されています。
運命とか人生とかを考えているとき、「唯一」の真理はあり得ないのです。
深層心理との付き合い方しだいで、真理はいかようにも変わってくるのです。
「大河の流れ」という運命の流れ
ことあるごとに一喜一憂する人生。
怒り狂ったり、嘆き悲しんだりする私たちの心模様。
「こうしたい」「ああなりたい」という思いや目的意識。
そういったものを一切超越して、宇宙の底の方に音を立ててとうとうと流れる「運命の流れ」が存在するのです。
私はそれを、「大河の流れ」と呼ぶことにしました。
人間には自由意志があり、人生を選択できます。
「大河の流れ」に沿って選択ができたら、とてもスムースな人生になります。
反対にそれに逆らうと、すべてがギクシャクしてくるでしょう。
そのための最初のトレーニングは、自分の過去を詳細に検討することです。
時間をかけて眺めていると、自分の人生がひとごとのように見えてくるようになります。
そうなれば、「大河の流れ」が見えるところまで、あとほんの一歩となります。
「いい運命」も「悪い運命」もない
人生の目的が富や地位、名声なら、それを手に入れたときが「いい運命」で、そうでない場合が「悪い運命」ということができます。
しかし、意識の成長・進化を目指している人にとっては、このようなものはかえって邪魔かもしれません。
富や地位や名声があるために、エゴが肥大し、うぬぼれや思い上がりが生じ、低次元の腐臭を放つようになる可能性があるからです。
あるいは、うぬぼれが原因になって、崖から転落して大怪我をしてしまうかもしれません。
ですが、崖から転落したことが「悪い運命」かというと、必ずしもそうではないかもしれません。
それによって、自分の思い上がりに気付くことができれば、崖からはいあがったあとは、はるかに素晴らしい人生を送ることもあるからです。
また、ものすごい好運が、とんでもない不運の衣をまとってやってくることだってあります。
要するに、「いい運命」も「悪い運命」もないのです。
人生においては、一見すると、「好運」あるいは「不運」に見えることが次々にやってきます。
それを簡単に「いい」とか「悪い」として判別できるほど、「運命の法則」は単純ではないのです。
人生の達人になるには
あらゆる人に「好運」と「不運」の波は絶えず押し寄せてきます。
ある人はそれに乗って楽しくサーフィンをします。
ある人は波に逆らって激しく泳いでいます。
ある人はその波に溺れそうになっています。
その違いは、「いかに宇宙や運命を信頼し、自らをあけ渡すことができるか」にかかっているといってもいいのです。
運命と上手に付き合うためには、精妙な観察眼と、自らの内側からの声に素直に耳を傾ける練習を、日々積み上げていくことが大切です。
そう心がけていれば、少しずつ運命の波を仲良くなり、やがてはその上でサーフィンができる日がやってきます。
次第にそういう自分の人生を、まるで人ごとのように客観的に見ることができるようになっていきます。
「好運」に出会っても有頂天にならず、「不運」に出会っても落ち込んだりすることが少なくなっていくことでしょう。
そうやって人は、少しずつ少しずつ「人生の達人」に近づいていくのです。
「好運」にも「不運」にもとらわれずに、超越していく方向性が、人間としての意識の成長・進化の道なのです。
よくよく近づいて見れば、「好運の女神」は誰にも微笑みかけています。
ただ、「好運だ」「不運だ」とすったもんだしているうちは、その微笑みにも気付くことはできません。
出会う人すべて、出会う出来事すべてに、自然に感謝の念がわいてきたときに、「好運の女神」の熱い抱擁が待っていることでしょう。
運命の法則―「好運の女神」と付き合うための15章 | ||||
|
天外伺朗(てんげ・しろう)
http://www.holotropic-net.org/holotropic/
本名・土井利忠。1942年兵庫県生まれ。ソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所所長。大学で電子工学を専攻したのち、ソニー研究所で先端技術の研究開発に携わる。フィリップスと組んだCDの共同開発者、ワークステーションNEWS、エンターテインメント・ロボット『AIBO』の開発責任者をつとめた。その経験をいかして科学技術評論、人材開発論にも健筆を振るう。2004年より、人々が病気にならないように指導し、生まれてから死ぬまでをケアする『ホロトロピック・センター』を病院に代わる概念として推進するネットワーク『ホロトロピック・ネットワーク』を主宰