「釈迦の教えは「感謝」だった」小林正観

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小林正観

「苦」の本質

「苦」の本質は、「自分が思いどおりにしたいのに、それが叶わないこと」と釈迦は見抜いていました。

自分の思いどおりにならない場合、西洋的な価値観では、人の何倍も努力をして、自分の思いが実現するまで頑張りなさいと教え込みました。

現代の日本の教育は、ほとんどがそこに立脚しています。

しかし、体をこわしたり、精神を病む人が多くなり、自分の人生が何のために存在するかが分らないという人も増えてきました。

人は抜きん出なければならない、上に上がらなければならないと思い込まされているということに、そろそろ気がついたほうがいいかもしれません。

人は、何のためにこの世に生まれてきたかというと、喜ばれる存在になること、人間の間で、人の間で喜ばれる存在になること、そのためにこの世に生を受けました。

 

「思い」をもたない

思いどおりにならないことが目の前にある場合に、西洋文明的な解決方法とは別の方法があります。

それは、「思い」そのものをもたないこと。

悩み・苦しみとは、「思い」を持っていて、その思いどおりにならないことを、思いどおりにしようと思うから生ずるのです。

従って、悩み・苦しみは、受け容れた瞬間から消滅するのです。

生まれること、老いること、病むこと、死ぬことも、そのまま受け容れる。

そうすると、悩み・苦しみから遠ざかることができます。

悩み・苦しみを持たなくて済むことができます。

宇宙に、地球に、すべてを委ねている人、静かに淡々と暮らしている人ほど、悩み・苦しみは少ないのです。

 

最高の受け容れは感謝

釈迦が言った「受け容れることで楽になる」ということは、突き詰めていくと、感謝するところまでいくということになるのではないでしょうか。

今、おかれている状況そのものが、実はありがたさに満ちているのではないでしょうか。

目に見えること、耳が聞こえること、呼吸ができること、食べることができること、自分の足で歩けること、話ができること。

ありとあらゆることを全部、受け容れた瞬間から、感謝になるのではないでしょうか。

 

人は、喜ばれると嬉しい

動物に与ええられた二つの本能とは、「自己保存」と「種の保存」の二つです。

動物界の頂点に立つ人に対して、神は三つ目の本能である「喜ばれると嬉しい」を与えたように思います。

人は、喜ばれると嬉しい。

神は自ら持っているそのエネルギーを、生物界の頂点に存在するヒトにだけ、与えたのではなかったでしょうか。

その結果として、私たちは神のエネルギーを一部、いただくことになった。

人間がほんとうに心の底から幸せを感じられるのは、喜ばれた時です。

喜ばれる存在になること

これが私たち人間に生命と肉体を与えられたことの意味でした。

喜ばれる存在になることとは、言い換えると、いかに頼まれやすい人になるか、いかに頼まれごとをするかということになるのです。

 

宇宙を味方にする

宇宙は努力や頑張りを評価の対象としていないようです。

すべてのことに対して「嬉しい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ついてる」と肯定的な言葉でものをとらえることが、宇宙を味方にする最短で最善の方法です。

 

祈りと願い

「祈り」とは本来、神の「意」に、「宣(のり)」と書きました。

「意宣」とは、「神の意を寿ぐこと、神の意を祝福すること」。

「あなたの望むように生きていきます」というのが、本来の「祈り」の意味でした。

「願い」とは、 「ねぎらい」から来ていて、「いろいろお世話になってありがとうございました」とお礼を言うこと。

つまり、「ねぎらい」も結局は、「ありがとう」ということなのです。

「祈り」も「願い」も「自分の望みを叶えてください」ということではありません。

「いまあるがまま、この状態をありがとう。」というふうに伝えることでした。

もともと、神社仏閣は、お礼を言う場所なのです。

要求をしたり願いを叶えてくれという所ではありません。

自分が置かれている状況がいかに幸せであるか、恵まれているかということについてのお礼を言いに行くと、「そこまで分かっているんだったら、もっとしてあげようかな」という気持ちに神仏はなるようです。

ですから、恵まれていることに気がつき、「恵まれている。ありがたい」と、言っている人ほど、どんどん恵まれ、もっともっと恵まれていきます。

 

釈迦の教えは感謝

釈迦は、この世の悩み・苦しみは、「思いどおりにならないこと」と見抜きました。

「般若心経」の中の「五蘊(色・受・想・行・識)は空なり」と言いました。

だから、「受け容れればいい」と言いました。

受け容れることの最高の形態は、感謝すること。

「有難」という表現で、「ありがとう」と感謝することが大事だよと言いました。

人の生を受くるは難く 限りある身の 今 命あるは 有り難し

釈迦の教えは、「ありがとう」という感謝だったのです。

 

 

釈迦の教えは「感謝」だった

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小林 正観(こばやし せいかん)
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1948年、東京都生まれ。中央大学法学部卒業。学生時代より潜在能力や超常現象に興味を持ち、旅行作家のかたわら研究を続け、今日に至る。年間約300回の講演会の依頼があり、全国を駆け回る生活を続けている。『宇宙を味方にする方程式』(致知出版社)、『「そ・わ・か」の法則』(サンマーク出版)、『もう一つの幸せ論』(ダイヤモンド社)など著者多数。2011年10月12日永眠。

 

 

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